不動産鑑定士の曽我一郎氏が、『Evaluation』37号P79(プログレス 2010年5月25日発行 電話03-3341-6573)で、「法廷の中の鑑定評価(完)」という課題の論文を発表している。
曽我一郎氏は、同課題で数回に分けて、論文を発表し、多くの示唆に富む理論を展開している。
今回はその課題の最終回である。
不動産証券化というマジックの中心的仕組みである、ケイマン諸島とチャリタブルトラストという錬金術について少し紹介しているが、これについてはもっと詳しく書いて欲しい内容のものである。
そして課題論文の最後の結びとして、不動産鑑定評価基準と不動産鑑定について、「裸の鑑定士論」を展開する。
この理論はなかなか面白い。
「裸の鑑定士論」とは何か。
曽我氏が説く、その論を下記に記す。
法廷における不動産鑑定の評価額、賃料額の争いにおいて、曽我氏は次のごとく言う。
「「鑑定評価基準に従って鑑定した」と決まり切った題目を唱えても、当事者はおろか、裁判所だって納得しない。
鑑定評価基準に一字一句忠実に鑑定評価をなしたところで、何の免責にも、言い訳にもなるまい。」
と説く。
そして、次のごとく文章を続ける。
「既に、適正な価格を求める鑑定作業は、鑑定評価基準遵守義務に先立ち優先すると判例によって決着している。」
と。
適正な鑑定評価と鑑定評価基準の関係がどういう関係にあるものかについて、上記のごとく説明する。
この関係を知れば、多くの不動産鑑定士は、自らの鑑定評価の姿勢を再度見直す必要性に迫られよう。
そして言う。
「鑑定評価基準にどれだけ忠実で、精緻な理論を振りかざしても、最終結論がトンチンカンであるならば、裸の王様で無く、裸の鑑定士と揶揄されそうである。
まさか鑑定評価基準通りに、作業を淡々と積み重ねて行けば、自然に正しい鑑定評価額に至るというようなことを信じている鑑定士はいないであろうが、自らが判定した鑑定評価額の正当性のよりどころを鑑定評価基準にのみ求める鑑定士は少なくないのではないであろうか。」
と結ぶ。
「裸の鑑定士」と揶揄されないように。
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