東京新宿の京王プラザホテルの宴会場に足を運んだ。
ある企業が創業65周年記念パーティを開くというので、そのパーティに出席したのである。
創業65周年とは大変おめでたいことであるから、受付の女性に「おめでとうございます」とご祝儀を差し出したところ、女性は少しお待ち下さいと云って、席を外した。
席を外した女性と面識ある重役が走って来た。
重役は、恐縮しながら、
「田原さん、これは受け取れません。
気持ちだけで充分です。」
と祝儀袋を返されてしまった。
律儀な会社である。
ご祝儀を出す事は、古いタイプの人に属することになるであろうか。
まあ、それは良い。
社長の挨拶が始まった。
若い。
創業65周年というから、3代目であろうか。
その話を聞いて、私は驚いてしまった。
社長となる人は、これほどまでに自社製品を知り尽くしているのかと。
創業65周年のパーティを開いた企業はファッション会社であった。
社長はごく最近アメリカに行って来たと云う。
飛行機の中で、乗客の中に会社のブランド品を着ていた人が一人いたと言う。
「ジャケットは○○○で△△・・・・・・、◎◎◎は***・・・・、その他に・・・・・」
着ている洋服のブランド名、タイプ番号、種類等を、立て板に水のごとくスラスラと言ってのけた。
これには驚いてしまった。
他人が着ている洋服を一目観て、パッと自社製品と分かり、それがどういうブランドでどういうタイプ等のものかが分かるのである。
恐れ入る。
私もスーツを着て行ったが、招待された会社の製品で無かった。
招待された会社の展示会に時々足を運び、スーツを買おうとするが、試着する度に、殆どが体に合わない。
太っているため、お腹周りがあわないのである。
痩せろと云うことである。
どうも肥満体に合うタイプのスーツ、ブレザーは置いてない様であった。
そういうこともあり、祝賀パーティには、せめてネクタイだけはと思い、ネクタイは祝賀パーティの会社の製品を身につけて出席したのである。
会場の出席者の殆どは、ファッション商品の製造協力会社の人々であった様だ。
来賓代表として挨拶した人は、岩手の縫製会社の社長であった。
乾杯の音頭を取った人は、岐阜のやはり縫製会社の社長であった。
地に足を付けた堅実な人選である。
挨拶した岐阜の人は、こんなことを言っていた。
「アイビールック全盛の頃、全国の若い人は、東京のこの会社の店までアイビーファッションを買いに来たものである。」
と。
この話を聞いて、私は、
「エーッ」
と小さく叫んでしまった。
私はその様なことを知らなかったためである。
創業65周年のこの会社は、VANの商品を扱い、多くの若者がアイビーファッションを買いに来る店舗を経営していたのか。
私の学生の頃であったろうか。
アイビールックスタイルで、銀座のみゆき通りを行き来する若者を「みゆき族」と呼んでいた。
ズボンの後ポケットに「平凡パンチ」の雑誌を丸めて突っ込んで歩くスタイルがもてはやされていた。
私はファッションには全く関心が無かったが、流行は知っていた。
創業65周年記念パーティを開いた会社は、その頃に既に名をはせていた会社だったのかと、改めて会社を見直す。
「こりゃァ、縁が出来た訳であるから、この会社のために手を一層貸してやらなければならないなァ。」
と思う事になった。2013年4月の或る日の出来事である。
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