○鑑定コラム


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305)賃貸事例の記載の全く無い賃料鑑定書

 いささかおかしな不動産鑑定書を拝見することになった。
 何もこちらから積極的に見たいと言った訳ではない。

 裁判においては、訴訟当事者依頼の鑑定書、裁判所鑑定人不動産鑑定士作成の鑑定書があり、争訟に関係するとそれらの不動産鑑定書を目にせざるをえない。

 正直言って、あまり他人の不動産鑑定書を批判したくない。私自身も随分と批判され、たたかれて来たから。しかし、それによって私も自分の未熟さを知り、随分と勉強したが。

 他人の不動産鑑定書を、原則批判したくない。とはいえ、腹に据えかねる不動産鑑定書については、誤りの部分の指摘はしておかなければならない。本人は誤りを全く意識せず、誤りを誤りと思わずに、同じ誤りを繰り返し続けることになる。不動産鑑定書の社会的信頼性を考えると、その弊害を放置することは出来ないであろう。

 謙虚に自分の誤りを認め、未熟さを悟れば良いが、そういうことをせず、挙げ句の果ては、
 「自分の鑑定は適正であり、間違っていない。間違っているのは、間違いと指摘するあなたの方だ。私は家賃評価を長くやって、多くの賃料鑑定をしてきている。私は賃料の専門家だ。あなたこそ何も知らない。あなたの鑑定の方が不当鑑定だ。」
と主張してくる不動産鑑定士が時々いる。傲慢と言うのか、謙虚さという態度は微塵も無い。はた迷惑の方はこちらの方である。

 賃料の不動産鑑定書で、賃貸事例が全く記載されていなく、賃貸事例を一例も採用せずに、賃料を鑑定している評価書に出くわした。

 賃料の評価に、賃貸事例が全く無くて行うことが出来るのであろうか。
 その賃料鑑定書の鑑定評価額に、信頼性はあるのであろうか。

 土地価格の評価にあっては、土地取引事例による取引事例比較法を何故行うのか。

 それは、当該近隣地域或いは周辺の類似地域に、この様な取引事例がありますよ。であるから、当該地の土地価格はこの位ですよと言うためであろう。

 土地の取引事例を記載し、そのデータより比較して土地価格を求めることは、データによる土地価格の実証性であろう。
 この様に、土地価格を求める時には、土地取引事例によって価格の実証性が行われている。
 土地評価において、土地取引事例が全く記載されず、土地価格が求められていたとしたら、その不動産鑑定書は奇異に感じられるのでは無かろうか。

 賃料を求める時とて、それは同じことでは無かろうか。

 当該近隣地域或いは周辺の類似地域の賃貸事例によって、賃料水準の把握、比較分析によって比準賃料が求められる。
 
 土地建物の価格から新規賃料は求められる。その賃料は積算賃料という。
 このことから周辺の賃貸事例を使わなくとも、あるいは知らなくとも賃料を求めることは出来る。

 しかし、その得られた積算賃料が、市場性を反映した妥当な新規賃料であるということを担保するものはあるのだろうか。

 妥当性を担保するために、賃貸事例比較法による比準賃料が必要である。

 比準賃料、積算賃料の2つが、互いに補完しあって、互いの賃料の妥当性を担保するのである。

 そして比準賃料の存在によって市場の賃料水準が分かり、求められた賃料の市場性が担保されるのである。

 積算賃料のみでは、その積算賃料が市場性ある賃料か否かは分からない。

 このことは価格の場合でも言える。
 価格の場合、積算価格が市場性を持っているかどうか分からない。不動産鑑定評価は市場価格を求めるものであり、積算価格を求めてそれを鑑定評価額としても、それが市場性を持った価格であると言うことは断言できない。即ち適正な不動産鑑定評価額と言うことは出来ない。
 積算価格が市場性を反映した価格であるということを担保するものが必要である。

 積算価格は、常に市場性を持った適正な不動産鑑定評価額であるとするならば、それは簿価を不動産鑑定評価額にすれば良いことである。
 簿価=市場性ある価格ということになるのであろうか。
 もし上式が成立するならば、不動産鑑定評価など必要ない。

 賃料評価においては、賃料データは必要不可欠なものである。
 賃料データが全く記載されていない賃料評価書が、罷り通ることの方がおかしい。

 止むを得ず、意見書としてこう書いた。
 「裁判官に問う。
 借地借家法は、近傍同種の建物の借賃に比較して不相当となった時に、賃料の増減額を認めると規程する。
 一審が、判決に全面的に採用した一審の鑑定人不動産鑑定士の作成の不動産鑑定書には、周辺の賃貸事例は一切書かれていない。比較も行っていない。
 現行賃料が、近傍同種の建物の借賃に比較して不相当か否かを、どの様にして、何を根拠にして裁判官は判断し、判決を下すのか。」
と。

 二審の裁判官に対して、随分と生意気な意見書を具申した。
 裁判官がこれを読めば、カチンと当然来るであろうが、事実は事実であるから、それははっきりと述べておかねばならないであろう。誤った判決を下すことが避けられると言うことを考えるならば、意見を無視するか、受け入れるかは自ずと分かろう。
 

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