もう相当前の話である。
評価する土地を見、周辺の環境や土地取引事例を探し求めて歩いていると、建立中の寺が見えた。
興味が湧き、建築現場に近づく。
ケヤキの1尺5寸くらいの太い柱の寺を築造中である。
宮大工と住職らしき人がいたので近づいて、
「こんにちは。
少し宜しいですか。
立派な寺ですね。
コンクリート造でなく、本格的な木造のお寺は最近は珍しい。」
と住職らしき人に、話のきっかけを作るために話かけた。
住職らしき人は、いきなり話掛けたこちらを怪訝な顔をして見つめた。
名刺を出しながら、職業をいい、近くの土地を見に来たが、立派な寺が建立中であったので立ち寄った旨を説明した。
住職らしき人は、やはり住職であった。
建立中の寺をほめられ、こんな立派な寺を今時造る住職の力は大したものだと持ち上げられ、檀家とは関係無い人と分かれば、住職も気楽に話してくれる。
前の寺の状況、寺建立のいきさつ、檀家総代とのやりとり等話題は豊富である。
寺の自慢話ばかり聞いていても仕方が無いので、そろそろ本題の話題に切り替えようと、
「ところでこれだけの立派な寺を造るには、一体どれくらいの金がかかるのですか。」
と聞いた。
寺の建築費について話を向けると、途端に住職の口は堅くなった。
さすがに容易に建築費については、おいそれと話さない。
私も少し建築を学んだ。
40歳の頃か。昼間は鑑定評価の仕事をしながら、夜は新宿にある建築専門学校の夜間に2年半ほど通って、製図やら構造計算やら日影図やら積算の配筋拾い、木材の柱・垂木拾いやら、毎週毎週の製図の宿題提出に根をあげながらも脱落せずにどうにか卒業した。卒業設計は、生意気にもリゾートホテルの設計を行った。
一応矩計図、断面図をかけるまでになった。但し今はもうかけないが。
そうした事も有ってか、文化勲章受章者で近代数寄屋造り建築家の第一人者である吉田五十八の設計した建物とその土地の鑑定依頼があった。
その建物は、建築雑誌にも紹介されている吉田五十八の代表作の1つと呼ばれる建物であった。
その様な建物を私の得た浅はかな建築の知識では、その建物は一体いくらくらいで建築出来るのかさっぱり分からない。
施工したのは深川木場の水澤工務店と聞いた。東京の数寄屋造り建物施工の第一人者の工務店である。
木場の水澤工務店に事前に用向きを話して、同工務店を訪れた。
忙しい中、水澤工務店の社長は時間を割いてくれて、話しを聞かしてくれた。
話は大工の工賃の話から始まった。
棟梁になるまでには30年かかる。
そして大工工賃は坪当り40万円という。
坪当り40万円と云えば、通常の木造居宅の建つ金額である。それが数寄屋造りの場合は、大工の工賃の額である。
これを聞いて、私は唖然としてしまった。
吉田五十八は京都の北山の山元まで行き、使用する材料の木材の立木を自分で選ぶ。伐採して2冬山で寝かし、それから使う。そのようにして建てた建物で有ると社長は説明する。
今、対象建物を作るとすれば、およそ坪当り250万円から280万円くらいかかるのでは無かろうかと云うのである。
この金額を聞いて、私は驚きを通り越して驚愕してしまった。
数寄屋造りの建物は高いとは聞いていたが、そこまでの金額がかかるとは。
しかし、現代の東京で数寄屋造りの建物を造ることが出来る、数少ない工務店の中の第一人者の工務店の社長の云う言葉である。信じざるを得ないであろう。
過去にこうした経験をしていた為に、口をつぐむ住職に、
「坪当り500万円くらいか。」
と、私の方から金額を云った。
数寄屋造りの家の建築費が、坪当り250万円くらいとすれば、その倍位の建築費では無かろうかと思って、あてづっぽうに金額を云ったのである。
住職はその金額を聞いて、甚だ驚いた様で、しばらくじっと私の顔を見ていた。
そして、
「ずばり。その通りだ。」
と答えてくれた。
日本経済新聞の2008年4月17日の紙面は、福島県磐梯町の慧日寺という寺跡に、1200年前に建立された金堂を、当時の工法と材料を使って復元したという記事を載せる。
金堂は本尊を安置する建物で、寺の中心となる建物である。
間口16m、奥行9m、高さ8mの建物と云う。
建築面積は、
16m×9m=144平方メートル≒43.56坪
である。
かかった総工事費は約4億円と云う。
400,000,000円÷43.56=918万円≒920万円
坪当り920万円の工事費である。
日本経済新聞は良い情報を教えてくれた。
いつの日か機会があったら、平安の「とち葺」の坪当り920万円の金堂を見に、福島県磐梯町という町を訪れたいと思う。