457)東証Jリート指数が再び1300を割った(2008年8月15日)
東証Jリート指数は2008年3月17日に1285.34と、1300の指数を割った。そののち反発し1310〜1340の指数の間を上下していた。
そのもみ合いの後、上放たれるかと思っていたら、逆に下落し、2008年8月15日に1300を割って1286.97の指数をつけた。
2008年3月から2008年8月までの5ヶ月の間には、Jリートにとって良い材料は無かった。
最大の悪材料は、 平成20年6月17日に証券取引等監視委員会が、Jリートのプロスペクト・レジデンシャル投資法人の不動産鑑定評価に関する問題で、同法人の運営会社の勧告処分を首相・金融庁長官に申し立てたことである。
この問題の原因を作った当該リートの不動産鑑定を行った不動産鑑定士、不動産鑑定書を発行した不動産鑑定業者に対する処分等の対応について、社団法人日本不動産鑑定協会、監督官庁の国土交通省地価調査課は全く動かない。
見て見ぬふりをしているのか、我れ関せずというのか、或いは俺たちには地価公示価格の評価だけ行っていれば良いのであって不動産証券化の鑑定評価など関係無いと云う考えなのか知らないが、何の行動も起こさない。
私から見ればこの様な不心得者と思われる、不動産鑑定士・不動産鑑定業者を全く野放しにしている鑑定協会と国交省地価調査課と云うのは不思議な団体で監督官庁だと思われる。
「良心に従い誠実に鑑定評価する」という不動産鑑定士の鑑定評価の責務を全く欠いている不心得者の不動産鑑定士・不動産鑑定業者は、我が世の春を依然として謳歌している様である。
棚からぼた餅で土地鑑定委員会の常勤委員になった人は、誰がそうしたポストを与えてくれたのかも全く分からず、かつ知ろうともせず、自分の能力でなったかのごとく思い有頂天になっているのでは無かろうか。
本来ならば、不動産鑑定業界のトップの財団法人日本不動産研究所の理事長若しくはそのクラスの人がなるべきポストである。
棚からぼた餅の土地鑑定委員会の新常勤委員よ、何とか正義の通る不動産鑑定業界にしてくれ。
話がそれた。東証Jリート指数の話に戻る。
東証Jリート指数は、2003年3月31日に指数1000として発表された。
2007年5月31日に、2612.98の最高指数をつけるまで上昇の一途であった。
最高指数をつけると、その後は全体的に傾向として指数は下落し、ついに1300を割ってしまった。
2008年8月15日の指数は、最高指数の半値である。
東京の土地が天井を打ち、下落に転じたのは、私が野村不動産アーバンネットの2007年7月1日のデータを見て、鑑定コラム370)「 東京の高級住宅地の地価はピークか(2007年7月)」を書いた頃である。
東証Jリート指数が天井を打ったのは2007年5月31日である。
両者の時間的差はあまりない。
現在の東京の地価は半値8掛けとまでは行かないが、大手取引仲介業者すら価格がわからず、とりあえず19年初めの売買取得価格で売り出して見ようかと様子見の売り価格を出す。
案の定客が一向に付かず2ヶ月位して3割ダウンの価格をつけ直して売りに出す。
そうするとその価格の7掛け程度の指し値の現金即金での購入者が現れる。
業者は価格改訂して10日も経ずに3割ダウンの価格での売買交渉は売り主に対して顔向けが出来ないと渋る。
「でもやってみるか。」となる。
現在の東京の土地価格の売買現場ではこうした状況が繰り広げられている。
当初売り出し価格の半値近くの取引が当たり前になりつつある。著しい土地価格の下落状態である。
平成19年(2007年)7月以降、東京の土地価格が急激に下がっている状態と、東証Jリート指数の2007年5月31日以降の急激な下落とは何か似かよった感じがする。
Jリートは不動産証券化で、不動産価格以外の要因が入っており、実物の土地価格とはあまり関係無いと私は当初見ていたが、2003年3月31日以降、現在の2008年8月15日までの東証Jリート指数と実物の土地価格の動きを見ると、両者の間にはかなり相関関係がある様に感じられる。
今後の土地価格の動きを知るには、東証Jリート指数の小さな動きでは無く、大きな動きが先の土地価格の状況を教えてくれるのかもしれない。
下記をクリックすれば、東京証券取引所が作成発表している2003年3月31日からのヒストグラフが見られます
http://quote.tse.or.jp/tse/quote.cgi?F=histidx/HistIndex&basequote=155_2003&begin=2003/03/31&end=2008/08/14&mode=W&histtype=CSV