○鑑定コラム


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565)サイモンとガーファンクル日本公演(2009年7月)

 午前中から午後にかけて、昼食を挟んで、依頼者の会社で弁護士を交えて、3時間ほど賃料改訂訴訟の打合せを行う。

 そののち、別の案件で大田区の田園調布に所在する不動産の現地確認と調査に行く。

 それを終え、夕方、後楽園の東京ドームに駆けつけた。
 青春時代を想い出す懐かしいサウンドを聞くために。
 2009年7月の暑い日であった。

 開場時間まで少し時間があったため、東京ドームに隣接して建っている東京ドームホテルの最上階の43階のレストランで、コーヒーを飲んで時間を潰すことにした。

 43階のレストランのバルコニー席に座った。


東京ドームホテル1



 ガラス越しの眼下に東京の中心地のビル群が目に入った。
 ごく近くに広大な緑の森が目に入った。
 皇居である。

 後楽園と皇居とが、これほど近いとは思わなかった。



東京ドームホテル2
 その緑の森の東側(写真で言うと左側) に林立するのが、大手町・丸の内の超高層事務所ビル群である。
 東京駅前のビジネス街である。

 そのビル群を見ていると、かっての近い昔、東京海上火災のビル建設に際して、お堀端の景観を崩すといって、ビルの高さ制限を主張して悶着があつたのだが、それは一体何であったのかと思う。

 当の赤煉瓦の外壁の東京海上火災のビルは、現在周りの超高層ビルの中で、よく見ないと分からない程の小さいビルの存在になってしまっている。



 年齢から考えれば、もう最後の公演では無いかと予想されることもあって、サイモンとガーファンクルの日本公演を東京ドームに聞きに行った。

 東京ドームの中での写真撮影は禁じられているので、写真は外部からのみである。


サイモンとガーファンクル1 サイモンとガーファンクル2



 東京ドームの野球で言えば外野の中堅手の守備位置辺りにステージが造られ、外野席には観客は入らないようにしてあった。ステージの前のグランドと内野席が観客席であった。

 チケット購入した席はアリーナ席であった。
 アリーナ席とは言え、左翼ポールに近いグランドに、列になって急遽こしらえ据えられた折りたたみ式の椅子席で、ステージは遙か遠くにしか見えなかった。

 2つの大オーロラビジョンが設置してあった。

 観客はどれ程入って居たのであろうか。グランド一面に作られた折りたたみ椅子のアリーナ席、ネット裏及び内野の3階席まで満員の状態であった。
 ステージ側より客席に向けたテレビカメラが、オーロラビジョンに映し出す会場の様子は、人、人、人・・・・であった。

 主催者側は入場者数を発表しないから分からないが、5万人近い人々が入って居たのでは無かろうかと推測する。

 ポール・サイモンとアート・ガーファンクルが、ステージに登場した。
 この二人を見た時、40数年前、一つの歌で全世界を一世風靡した人が、この二人なのかと感慨深かった。

 聞き馴染んだ曲が流れてきた。
 「コンドルは飛んでゆく」である。
 この曲を初めて聴いた時、ポール・サイモンという、同世代に生きている米国の若者の音楽的才能の豊かさと素晴らしさを改めて見直したことを思い出す。

 南米の民謡を、世界的レベルの歌にしてしまうポール・サイモンの能力に畏敬を感じた。

 それは、オーストラリアの民謡の「ワルチング・マチルダ」を、『渚にて』の映画の主題歌にして、歌の良さを世界に伝えると共に、その音楽によって記憶に残る映画に、そして映画の質を上げさせることに成功した映画監督スタンリー・クレイマー、映画音楽作曲家アーネスト・ゴールドのように。
 
 ポール・サイモンとアート・ガーファンクルの声は、今迄テープで聞き馴染んでいた声とは、音質が大分違っていた。

 それは止むを得ない事であろう。
 齢も60才の後半である。
 20才代、30才代の絶頂期のやわらかい声を求めるのは、無理と言うものであろう。
 
 二人は20数曲を歌った。
 最後は「明日に架ける橋」だった。
 二人は舞台から去った。

 舞台から消えた二人に対して、私は心の中で叫んだ。
 「これで終わりなの?
 ちょつと待ってくれ!
 最も聞きたかった歌を、未だ聞いていないょ。
 聞かしてくれ!
 歌ってくれ・・・・・!」
と。

 立ち上がりアンコールの拍手を叩いた。
 聴衆の多くも同じ思いかどうか知らないが、拍手は鳴り止まなかった。

 そして、舞台にサイモンとガーファンクルは戻ってきた。
 静かに、そしてささやくように歌い出した。

 
 Hello darkness, my old friend 
 I've come to talk with you again 
 Because a vision softly creeping 
 Left its seeds while I was sleeping 
 And the vision that was planted in my brain 
 Still remains 
 Within the sound of silence 

 そしてここからバックにドラムが入り、リズミカルに軽快な高音部が続く。

 曲のうち私が最も好きなフレーズが続く。

 ・・・・・・・・・
 People talking without speaking 
 People hearing without listening 
 People writing songs that voices never shared 
 No one dared 
 Disturb the sound of silence 

 待望の「サウンド・オブ・サイレンス」(The Sound Of Silence ) の曲である。
 1963年に作られた曲であるから、46年前の曲である。作詞・作曲したポール・サイモンの能力の非凡さに脱帽する。
 その本人がステージに立って歌っているのである。見ることが出来、聴くことが出来た喜びを感じる。

 オーロラビジョンに大きく映し出されるサイモンとガーファンクルの映像と、遠く小さく見えるステージに立つ二人の姿を見ながら、頭の中で歌詞を共に歌った。
 遠い我が青春を想い出しながら。

 「サウンド・オブ・サイレンス」は、ビートルズの「レット・イット・ビー」と共に、私の心に深く残る曲である。

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