2009年7月1日から1ヶ月の間に、ホームページの鑑定コラム350の「上高地」の記事へのアクセスが甚だ多い。
多いと言ってもマイナーなホームページであるから、大した件数ではないが。
それでも200件のアクセスである。
同記事は、2007年4月24日に発表したものであり、2年余経っている。
2年余経っている記事に、1ヶ月に200件ものアクセスがあるのは不思議である。
夏という季節と、8月1日が松本深志高校生の西穂高岳独標の遭難日であることもあるかもしれない。
それにしても多い。
考えられるのは、北海道大雪山系のトムラウシ山(2141m)で、中高年者の団体の遭難があったことが、山の遭難ということで、当方のホームページに訪問者がきたと言うことでは無かろうかということである。
それであれば、あまり良い事では無い。
2009年7月16日、旭岳からトムラウシ山を目指していた18人の山岳登山ツァーのパーティが、トムラウシ山近くで、山岳縦走の疲れのところに、激しい雨と強風に遭遇して体力を消耗して動けなくなり、低体温症で8人の命がなくなった。
ガイドの人を除くと、死亡した人は59〜69才の中高年の男女である。
私とほぼ同じ世代の人々である。痛々しく心が痛む。
60才を越えても、なお山登りに駆り立てるものは何であろうか。
西穂高岳独標で、松本深志高校生の遭難があったのは、1967年8月1日である。 今から42年前である。
トムラウシ山で遭難した人々は、1967年の時は、17〜27才の年齢の人々である。60才を過ぎても山に登る情熱を持っている人々であるのだから、西穂高岳独標の遭難は知っているハズである。
その頃に青春時代を過ごした人々は、山登りが好きであったのであろうか。
8人の遭難者の中に、女性が6人もいることは何故だろう。
現在20代、30代の人々にとって、自分の親の世代の気持ちは分からないと言うのではなかろうか。
私も若い頃は山登りをしたが、それも30才までで、それ以後はピタリと山登りを止めた。
穂高も槍も富士山も白馬も木曽駒もその他結構な山に登ったことから、もう充分だった。
高山の雨の冷たさと怖さ、雷の怖さ、濃霧で方角が分からなくなる怖さを充分知った。
雨の日は、山小屋かテントの中に沈殿して動かないことが、山登りの鉄則である。それが1日、2日続こうが。
山岳を縦走する時は、現在も放送されているか知らないが、夜NHKが放送する気象情報より、気圧配置図を作成して、低気圧の位置を知り、前線を知り、翌日の天候を予測する。そして行動計画を立てるのが、縦走登山の基本であると聞いたが。
トムラウシ山で亡くなられた縦走山岳登山ツァー8人の方の冥福を祈る。
鑑定コラム350)「上高地」
鑑定コラム941)「槍ヶ岳で落雷死亡」