2011年(平成23年)4月中頃より、横浜青葉台にある大学の新学期の授業が始まった。
法学部3年生を対象にした私の不動産鑑定評価の講義が始まった。
最初の講義日には、毎年のことであるが、私の自己紹介、シラバスの説明、講義内容、講義の進め方、期末試験のやり方などを話す。
そして、当然、不動産鑑定評価とはどういうものなのか。不動産鑑定評価はどの様なところに使用され、利用されているのか。不動産鑑定士の仕事の内容について話す。
いつもは、ここより授業に入っていくが、今年は、現在の大学生の就職状況の厳しさから、大学3年生になった早々から就職活動をしなければならないことを考え、学生に大きな希望を持って人生を切り開いて歩んで欲しいという私の願いもあり、ある人の話をすることにした。
大学が横浜にあることもあり、横浜に関係するマーカス・サミュエルという人の話をした。
マーカス・サミュエル ?
それはどんな人かと思われる人もいると思われるが、私もマーカス・サミュエルを研究した訳でもないから、それ程詳しくは知らないが、私の知っている範囲の事を学生に話し、人生に夢と希望を持って、力強く生きて欲しい例として話した。
1871年(明治4年)、横浜の港に、僅か数ポンドの金しか持たない18歳の英国籍の若い貧しいユダヤ青年が降り立った。
住むところも無く、湘南の浜の無人小屋を見つけ、そこで日々を過ごした。
湘南の海岸で美しい貝殻を見つけた。
これをボタンとかブローチに加工細工して英国で売れば、金になると思いついた。
青年は貝殻を集め加工細工して、英国にいる父親に送った。
父親はそれを売り歩いた。
英国人は東洋の神秘さに見せられたのか、珍しがって買ってくれた。
青年の商売は順調に行き、貝殻の加工細工のほか、雑貨も扱い、英国と日本との間の雑貨輸出入業者としてやって行ける様になった。
青年は33歳になった1886年(明治19年)、横浜で自分の名前を付けた「マーカス・サミュエル商会」という会社を設立した。
サミュエルの事業は益々順調に進んだ。
その頃、アメリカでロックフェラーが石油を掘り当て、石油王になった。
マーカス・サミュエルもその噂を聞き、自分も石油を採掘してみようと思い立ち、それまでの事業で儲けた金の一部で、インドネシアに出かけ採掘したところ、運良く石油を掘り当てた。
1894年(明治27年)日清戦争が勃発した。
サミュエルは、日本軍に石油、兵器を供給し援助した。
こうして日本政府の信頼を得る一方、1900年(明治33年)サミュエルは、マーカス・サミュエル商会の石油部門を分離して「ライジング・サン石油株式会社」を横浜に設立した。
このライジング・サン石油株式会社が、のちに「シェル石油」になるのである。
トレードマークは、サミュエルが財を成す事が出来たのは、湘南の浜の貝殻であることから、それを忘れ無いために貝殻の「貝」印とした。
サミュエルは、その後英国に戻り、ロンドン市長になった。
シェル石油は、1907年(明治40年)オランダのロイヤル・ダッチと合併し、 ロイヤル・ダッチ・シェルとなる。合併後のトレードマークは、貝殻の「貝」印である。
このロイヤル・ダッチ・シェルは、ロスチャイルドの中心企業に成長する。
今も日本のあちこちに見られる貝印のトレードマークのガソリンスタンドは、ロイヤル・ダッチ・シェルの日本会社である「昭和シェル石油株式会社」のガソリンスタンドである。
シェル石油の発祥の地は、日本の横浜である。
日本で生まれ育った会社が合併してロイヤル・ダッチ・シェルになったが、ロックフェラーのスタンダード・オイルの後身であるエクソン、モービル、シェブロンの3社とテキサコ、ガルフ、ブリティシュ・ペトロリアムで世界の石油を牛耳る石油セブンスターを形成する一つの会社になる。
その石油セブンスターが、1997年〜2000年にかけて、
BP・アモコ エクソン・モービル シェブロンテキサコ ロイヤル・ダッチ・シェル