○鑑定コラム
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お盆前までには届けなければ、いくら何でも申し分け無いと思い、横浜の弁護士事務所に不動産鑑定書を届けて来た。
遅れは、1、2ヶ月どころの遅れではない。
相当の遅れである。期間を言うのは憚れる遅れである。
鑑定書提出の大幅の遅れに、依頼主の弁護士は小言一つもいわず、私の鑑定書の出来上がるのをじっと耐えて待っていてくださった。
ここまで信用してくださった行為に対しては、いつか鑑定の仕事として相応の御礼をしなくてはと思っている。
横浜に行ったついでに、いつか一度は訪れてみたいと思っていた場所を探して訪れて来た。
その場所とは、ライジング・サン石油の本社のあった場所である。
今はロスチャイルド財閥の中心企業のロイヤル・ダッチ・シェルになっているが、ロイヤル・ダッチ石油と合併する前は、シェル石油であり、その前身はライジング・サン石油であった。
ライジング・サン石油は、マーカス・サミュエルが、横浜で作った会社である。シェル石油の発祥は横浜であり、トレードマークの貝印は、日本と深い関係がある。
ライジング・サン石油の本社建物は、2000年頃取り壊され、その跡地に高層のマンションが立っていると聞いた。
場所は「山下町58番地」で、NHK横浜放送局の近くであると、昭和シェル石油の本社と横浜開港資料館の両方の人から聞いていたから、その場所を探した。
「山下町58番地」の土地には、25階建程度の高層マンションが建っていた。 (写真1)である。
(写真1)
そのマンションの名前は、「エクステ山下公園」と言った。(写真2)である。
(写真2)
その高層マンションの1階の道路側外壁に、案内板が掲げられていた。(写真3)である。
(写真3)
そこには、題字として次のごとく書かれていた。
<横浜の歴史を生かした街づくり歴史的建造物>
エクステ山下公園 2001年6月竣工
その題字に続いて、下記の説明文章が書かれていた。
「昭和4年、ライジング・サン石油横浜本社として建てられた(旧)昭和シェル石油山下ビル跡地に位置しています。
このビルの外観は、建築意匠上モダニズムと古典主義、アール・デコが精妙に解け合った特徴あるものでした。その設計は、我が国のモダニズム建築を先導したA.レーモンドと、当時日本にいたチェコの多才な建築家B.フォイエルシュタインの共同設計によるものです。
エクステ山下公園は、当時の特徴的な回転ドアをモニュメントとして保護再生し、またフォサード(写真4・筆者加筆)はかっての建物のイメージを再現して横浜の「歴史を生かした街づくり」に寄与するものとして建築しました。」
(写真4)
ライジング・サン石油本社建物は、取り壊されるまでは、横浜市の認定歴史的建造物であった。
設計は、レーモンド(共同設計)であった。
当時の建物の姿がどういうものか(写真5)で分かる。フォサードの状態が設計図から見て取れる。
(写真5)
大学で建築を学んだ人は、レーモンドの名前を知らない人は居ないであろう。 著名な建築家である。
映画俳優やタレント達が良く結婚式を挙げる軽井沢の聖パウロカトリック教会は、レーモンドの設計である。
不動産鑑定士で有っても、レーモンドやライトの建築家の名前くらいは知っていてもよいと私は思う。
ライジング・サン石油本社の当時の玄関に使われていた「回転ドア」はそのまま残されていた。(写真6)である。
(写真6)
「回転ドア」を残したことは、新しい建物を跡地に建てる建築家の良心であろうか。
ライジング・サン石油の本社建物そのものが映画のロケに使われ、特に回転ドアは良く映画のスクリーンに映されていたと聞く。
当時の多くの人々が、回転ドアの横棒の鉄バーを押して出入りしていたであろうと想像し、鉄バーの端から端まで手のひらを滑らしてみた。
手のひらが真っ黒になってしまった。
錆と埃によるものであった。
ドアに丸い金具が取り付けてあった。
真ん中に次の文字が読める。
「PATENTED」
と。
そして丸い縁取りのごとく、次の英字が取り囲む。
「REVOLVING DOORS.INC NEW YORK」
と。(写真7)である。
(写真7)
跡地に建てられた高層マンションの住人の一人であろうか、私がドアに触り、丸い柱を叩いている姿をじっと見ていた
。
不審者と思われたかもしれない。
しかしドア等の写真を撮っている姿から不審者でないと分かったのか、建物の中に姿が消えた。
鑑定コラム768)「2011年大学新年度最初の講義とシェル石油創始者」
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