府中街道より川崎の枡形城趾の傍を通る。
明治大学生田校舎と専修大学生田キャンパスの間の坂道をのぼる。
セントマリアンナ医科大学を右にみて、丘陵地を走り、東名川崎インターに入る。
東名高速道路に入った。
おかしい。
東名が混んでいる。
三車線の車線に、車がいっぱいである。
車はスピードを持って走っていない。数珠つなぎのノロノロ走行である。途中でブレーキを踏み、完全に止まってしまった。
自宅を出る時、東名高速の道路状況をネットで調べて見たが、その時は、東名の車の流れは順調の表示であった。
自宅から川崎インターに来る迄の間に、東名高速で事故があり、それで渋滞になったのか。
いぶかりながら、カーラジオの道路状況を聞いた。
案の定事故があった。
「東名下り名古屋方面に向かっているドライバーの皆様にお知らせ致します・・・・・。」
とハイウエイ情報は伝える。
「横浜インターの先約5キロメートル、大和トンネルの手前で車4台の事故が、午前8時10分頃発生致しました。
2名の負傷者が出ました。
現在警察が事故検分を行っているところです・・・・。」
「これはダメだ。
といって高速を降りる事も出来ない。
事故は横浜インターの先であれば、そこまでの混雑であろうから我慢しよう。」
と思い渋滞の中の車の一台になった。
東名川崎インターに入って、私は何処に行こうとしたのか。
それは、東名川崎インターに入って東名を厚木まで行き、厚木インターで降りる。
厚木インターから小田原厚木自動車道路に乗り換える。
大磯を通り、終点の小田原までゆき、そこで、箱根ターンパイクに乗り換え、箱根の仙石原に行くという計画であつた。
箱根仙石原に行くのには、いつもは箱根湯本から国道1号線で富士屋ホテルの前を通って箱根の山登りをするが、今日はそのルートでなく、たまには箱根ターンパイクを通って行こうとしたのである。
川崎インターから厚木インターまで27kmの距離を3時間半の時間を費やした。
東名の東京に近いところで事故が発生すると、車はアッという間に数珠つなぎになって渋滞を引き起こす。
その渋滞時間も半端な時間ではない。
27kmの距離に3時間半の時間がかかるのである。
予定より3時間半遅れで、小田原の箱根ターンパイクの入口に入った。
箱根ターンパイクは赤字経営で一時閉鎖されて居た。
10年程前に経営母体であった東急が、約11億円でオーストラリアのファンドに売り払った。
ファンドは、ターンパイクの料金収入を原資にして、資本投資した投資家に配当として利益還元するのである。
つまり有料道路の証券化である。売買価格は土地の取得費、道路工事費を全く無視した料金収入から逆算される価格で決定されるのである。
同じ様なものとして、熱海ビーチラインの証券化がある。
箱根ターンパイクは、豊臣秀吉が小田原攻めをした時に通った道とも言われている。その頃に既に道が出来ていたようだ。勿論現在の道幅でなく、舗装もされていない山道であったことは当然である。
この秀吉の小田原攻めの時に、小田原城の北条氏側が籠城すべきか攻めるべきかを評定して、結論がなかなかでない会議が続いた。これを称して「小田原評定」の言葉が生まれた。
秀吉の小田原攻め以前では、箱根ターンパイクの走っている元の山道を、源頼朝が石橋山の戦いで負けて命からがら逃げ帰った道とも言われる。
石橋山の戦いで敗走する頼朝を追う敵将は、梶原景時であったが、洞窟に潜む頼朝を敢えて見逃す。後に梶原景時は頼朝の腹心になるが。
もしこのとき頼朝が梶原景時によって捕縛されて居たら・・・・。
この洞窟に潜む頼朝を描いた日本画がある。
平成の大合併で、我が故郷になった新・中津川市の中核である旧中津川市が生んだ日本画家の前田青邨が「洞窟の頼朝」として描いている。
この絵画は前田青邨の代表作品の1つである。
「洞窟の頼朝」は、確か去年(2010年)重要文化財に指定されたと記憶している。
箱根ターンパイクの最高地の展望台より、芦ノ湖をみる。
晴れた日には、芦ノ湖の先に富士山が見えるのであるが、あいにくと晴れていなく、富士山の頂上は雲に隠れていた。
箱根ターンパイクの展望台よりみた芦ノ湖の写真を、下記に載せる。少し富士山の形が見える。
展望台からは箱根の山々、伊豆の山並、箱根路が一望出来る。
眼下に見える芦ノ湖の近くに「箱根の関所」がある。難所の箱根越えを象徴するものの一つである。
箱根越えをいにしえの人々は歌に詠んだ。
その中の1つとして私が好きな1つを。
「箱根路を我が越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄る見ゆ」
源実朝の歌である。金塊和歌集にある。
実朝が詠んだ「箱根路を我が越えくれば・・・・」は、三島から箱根の関所を通って小田原に出たのか。或いはその逆か。
実朝のみた海は、小田原の海か、三島の海か。
実朝の歌の中で、私が好きな歌は、この他に一つある。下記の歌である。
「大海の磯もとどろに寄する波われてくだけて裂けて散るかも」
波が、「われてくだけて裂けて散る」という描写は、素晴らしい自然を見つめた表現である。
波は、われる。くだける。さける。
雄大な迫力ある歌だ。
箱根を正岡子規も歌っている。
「人皆の 箱根伊香保と遊ふ日を 庵にこもりて 蝿殺すわれは」
病床の子規も、箱根での静養を望んだのであろうか。
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