テンクウリツ。
新しく出現した占いの名前ではない。
空に散らばる星の数の夜空に占める率でもない。
孫悟空が一回の飛行で空中に滞空出来る時間の割合でもない。
2003年1月1日より施行された改正建築基準法に、新しく登場した新造語である。
「天空率」と漢字で書く。
その用語は、ある私的勉強会で、講師の一級建築士による改正建築基準法の天空率についての具体的な説明の話で初めて耳にし、知った。
前面道路の反対側の縁より、ある建物を眺めた時、その建物によってさえぎられる部分をプラネタリウムのごとくの想定した半球状の空に写影させ、その写影された部分を、平面上の円に正射影させて、円に占める正射影の面積割合を天空率という。
プラネタリウムに描かれた影を、今度は上より見て、平面円上に落とし、その平面上に落とされた部分の面積が平面円の面積に対して、どれ程の割合にあるのかという率である。
三角関数や積分を使って求めるのか知らないが、半円球の空に投影された影の面積をどの様にして求めるのか。また、その半円球上の面積を水平投影面積にどの様にして換算して求めるのか。求める数式があるであろうが私にはわからない。
なんだか、難しそうである。
何故、そんな難しそうなことをわざわざやるのかという疑問が湧いてくる。
聞けば、規制緩和の政策のためという。
斜線制限によって制限される建物の高さの規制を緩和するためという。
しかし、天空率の計算は手計算では、ほとんど不可能であり、解析ソフトを積載したコンピュータによって行わざるを得ず、適、不適は、コンピュータで計算した後でないと判断出来ないという。
斜線制限とは、道路幅からの斜線、北側隣接地からの斜線による建物の高さ制限である。
6階建程度の建物で、4階程度の建物部分から上の部分が斜めに切りとられている建物をよくみかけるが、その斜めに切りとられる建物を少なくするということで考え出されたものであるらしい。
それであるならば、その斜線制限そのものを撤廃する方が規制緩和になるのではなかろうか。
立体の垂直の建物の途中より上部を、斜線にぶった切る建物の姿に、美しさというものがあるのであろうか。美的感覚には個人差があるであろうが、私には美しい建物とはとても見えない。
木曽のかけ橋や、岩国の錦帯橋、東寺の五重塔などの美しい構造物、建築物を作る能力を、日本人は持っているのである。
美的感覚のかけらも全く感じられなく、醜さだけが残る斜線制限で造られた建物を見る度に、同じ日本人としてなんとかならないのかと情けなくなってくる。
改正建築基準法は、「天空率」という新しい言葉を大胆にも造語してしまった。
「大胆にも」という意味は、日本人の宗教概念からいえば、「天」という言葉の持つ概念には、神のいるところというイメージがあり、やたらに使うべきものでないと私には思われるからである。
言葉には、その言葉が本来持つ概念があり、使うべき場所、場面、時がある。
そのことを全く無視し、あるいは意に介せず「天空率」という言葉を改正建築基準法は作り、使ってしまった。
天空率の内容を見れば、それは青空がどれ程見られるかということである。
ならば天空率という言葉なぞ使わず「青空率」の用語で充分目的は達せられるのではなかったのか。
「天空率」という用語など使用せず、「青空率」の用語で目的を達せられたのである。何ゆえに「天空率」という「天」という言葉を使う必要性があったのであろうか。
日本語をもっと大切に扱って欲しかった。
天空率、天空率というが、天空率が不動産鑑定に関係するのかという疑問が湧き、質問がでるであろうが、それが影響してくるのである。
どの様に不動産鑑定に影響するのかは、各自考えられたい。そうしないと知識は身に付かない。
ある不動産鑑定士は、
「天空率を見落としていたとして、不当鑑定で訴えられたら、負けるのではないだろうか」
と脅かす。
私は、
「冗談ではない、コンピュータでしか適、不適の計算出来ないことなぞ、鑑定評価でやっとれないよ」
と反論したが。
日本橋の上に、蛇の下腹のごとくの醜い姿を晒す首都高速道路が架空している。建物に天空率をいうならば、この日本橋の天空率はどうなるのであろうか。
日本橋は太陽が燦々と輝く青空の下にあって欲しい。