余所の田んぼアートの紹介ばかりしていても面白く無い。
私の故郷の話を一つ。
ネットニュースを見ていたら、岐阜新聞に我が故郷の記事が出ていた。
新聞記事になるような出来事など、我が故郷には無いと、ハナから思っていたことから、記事を見つけた時は非常に驚いた。
岐阜新聞2015年9月20日のウエブ記事である。
見出しは『純白の花、ソバにおいで 中津川市で見ごろ』である。
椛の湖(はなのこ)自然公園に5.5ヘクタールの蕎麦畑があり、蕎麦の白い花が満開であり、見頃を迎えているという記事である。
5.5ヘクタールの規模の蕎麦畑はあまり無い規模という。
一面に白い花が咲き誇る蕎麦畑の写真も載っている。
下記アドレスをクリックすれば、蕎麦畑の写真が見られる。
http://www.gifu-np.co.jp/news/kennai/20150920/201509200931_25756.jpg
新聞社の写真は、期限が来ると削除される可能性があり、一般社団法人岐阜県観光連盟公式サイトに紹介されている画像のアドレスを下記に記す。
http://www.kankou-gifu.jp/image.php?w=420&p=.&f=/db_img/cl_img/3933/main.jpg
中津川市のホームページに掲載されている蕎麦祭りのパンフレットも併せて載せておく。
熱気球の空中散歩も楽しめるという。北海道の上士幌まで行かなくても、熱気球に乗れそうだ。
パンフレットの真ん中奥に見える山は、中央アルプス(木曽山脈)の最南端の山の恵那山である。
深田久弥の選ぶ日本の百名山の一つである。
昨年、田中陽希が、一筆書き百名山の登山で、右の麓から登り、写真で見える恵那山頂上と左尾根を、もの凄いスピードで踏破して行った。
パンフレットは、下記アドレスである。
http://www.city.nakatsugawa.gifu.jp/branch/sakashita/sakashita_sobahanamaturibig1.pdf
椛の湖は旧坂下町の上野にあり、分水嶺の丘陵を開墾した農地のための農業用水池として作られたものである。
私の中学生の頃に完成したと思うが、池は出来上がったが、なかなか水は溜まら無かった
少ない貯水量であったためか、冬には池が凍った。
凍った椛の湖で、スケートを楽しんだ。私の中学生の頃の話である。
今は、近年の地球の温暖化傾向で、暖かくなって、椛の湖が凍ることも無く、スケートをすることも出来ないであろう。
私の記憶の椛の湖の周りは、少しの空地と畑そして山林である。
その畑が、蕎麦畑に変わったのか。
しかし5.5ヘクタールもの畑があっただろうか。
高校を卒業して、故郷を離れたことも有り、椛の湖がその後どうなったかは知らなかった。
椛の湖の近くに自然公園が出来、5.5ヘクタールもの蕎麦畑があるとは知らなかった。
椛の湖の「椛」は、ハナノキという旧坂下町の椛の湖周辺に自然植生する環境省の絶滅危惧に指定されている樹の名前より取っている。
辺鄙(へんぴ)なところにある農業貯水池の椛の湖の名前が知れ渡ったのは、およそ46年前である。
椛の湖の湖畔でフォークソングフェステバルが開かれた。
「椛の湖フォークジャンボリー」である。
この椛の湖フォークジャンボリーの開催によって、椛の湖の名前が全国に知れ渡った。
と言ってもフォークソングや、ニューミュージックを愛する若い人々の間であるが。
「椛の湖フォークジャンボリー」は、1969年、1970年、1971年と3年間開かれた。
日本のあちこちから聴衆が集まり、フォークソング、ロックンロールが夜明けまで響き渡ったと聞く。
椛の湖に通じるくねくねと幾重にも曲折する登りの長坂は、車の行列が続いたと聞く。
聞くと云うのは、私は参加していないため、伝聞である。
その頃、私は、東京で不動産鑑定評価の修行時代であり、鑑定評価の知識の吸収に忙しく、音楽に浸る時間も余裕も無かった。故郷に帰ることは無かった。
風の便りで、そうした行事が開かれていると知った程度である。
不動産鑑定の修行も終わり、不動産鑑定業を東京で開業した。
仕事で多くの人々に会い、話した。
開業後10年くらい経った時だったろうか、仕事で出会った或る人が私の出身地を聞いて、「坂下駅から歩いて椛の湖に行った。」という話をしだした。
「エッ・・。
椛の湖まで坂下駅から歩いた???
どうして。
椛の湖に何しに行ったのですか。」
と私は、驚いて聞き返した。
「高石ともや、岡林信康の歌を聴きに行きました。
椛の湖フォークジャンボリーで坂下を訪れました。」
「岡林信康とは、『山谷ブルース』の岡林ですか。」
「そうです。
田原さんは地元でしょう。
ジャンボリーに行かれませんでしたか。」
「不動産鑑定評価の仕事を覚えるのに忙しく、あいにく行っておりません。」
と、言い訳の返事をした。
その後、その人から椛の湖フォークジャンボリーの話を聞くことになったが、私の初めて知る内容ばかりであった。
広い東京で、まさか故郷で行われていた「椛の湖フォークジャンボリー」に参加した人に会うとは、予想だにしなかった。
外国に行った日本人が、外国人が日本の国を褒め、かつ日本の歴史をよく知っており、自分の無知を改めて知り、恥ずかしかったという話を良く聞くが、その境地に自分が陥った感じであった。
全日本フォークジャンボリーというホームページに、椛の湖フォークジャンボリーについて詳しく書かれている。
下記のアドレスである。
http://folk-jamboree.jp/index.html
そこの記載内容によれば、「椛の湖フォークジャンボリー」に出演したアーティスト達は、私の知っている範囲では、下記のアーティスト達である。順不同である。
高石ともや、岡林信康、上條恒彦、小室等、杉田二郎、山本コータロー、なぎらけんいち、はしだのりひこ、細野晴臣、あがた森魚、五輪真弓、かまやつひろし、カルメンマキ、日野晄正クインテット、三上寛、ミッキーカーティス、吉田拓郎等である。
その頃には大きなヒット曲が無く、名前も広く知れ渡っていないアーティストであったかもしれないが、その後大ヒットを飛ばした人もいる。そうそうたるメンバーが、椛の湖を訪れていた。
1971年を最後に、「椛の湖フォークジャンボリー」は開かれなくなった。
開かれなくなったことの理由はあるであろうが、残念である。
開催の継続は困難であろうが、もし続けていれば、素晴らしい町興しの事業になっている。
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