北海道の夏は6月と7月である。
8月に入ると秋の足音が急速に訪れ、寒くなる。
北海道の夏は短い。
その短い夏到来とともに、冬にため込んでいたエネルギーを爆発的に体から外に出して楽しもうとするごとく、祭りが始まる。
2016年YOSAKOIソーラン祭りが、札幌の大通り公園を主会場として、2016年6月8日〜12日迄開かれた。
祭りを主管するYOSAKOIソーラン祭り実行委員会の発表によれば、2016年第25回のYOSAKOIソーラン祭り(以下「ソーラン祭り」と呼ぶ)の演舞参加チームは280連、観客動員数は205.4万人という。
昨年(2015年 第24回) は、連が270、観客動員数は198.7万人という。
今年2016年のソーラン祭りは見る事が出来なかったが、1年前の2015年にはソーラン祭りを見た。
1年前の2015年6月、長くおつきあいし、お世話になった人が、80歳の誕生の祝いを北海道余市の山荘で行うというので、東京から駆けつけた。
東京羽田からJALに乗り、新千歳空港に飛ぶ。
新千歳空港からJRで札幌に行く。
札幌でレンタカーを借りて、余市に行くというスケジュールであった。
羽田から乗った飛行機の中で、派手なハッピを来た人達がいた。何の団体だろうかと訝った。
JR札幌駅に着くと、駅構内に色とりどりの原色のけばけばしい衣装やハッピを身にまとった人々があちこちに見かける。
何だろうと思い、構内にある案内所に行き聞いて見た。
「ソーラン祭りが開かれています。主会場は大通り公園です。」
と説明してくれた。
「80歳の誕生の祝宴は午後4時から始まる。余市の山荘には夕方までに着けば良い。時間は充分ある。ソーラン祭りを見て行こう。」
と思った。
荷物を持っての行動は辛い。
荷物を入れるロッカーは無いものかと、ロッカーを捜したが、ロッカーはあるが、殆どが使用中である。札幌駅をあちこちロッカー探しである。
「JRょ、札幌駅は札幌の玄関口であろう。
観光客に重い荷物を持たせて、構内のロッカー捜しをさせるのか。
荷物を入れるロッカーをもっと増やしてくれないか。
ロッカーの面積当りの売上高を考えたことがあるのか。
一坪にあるロッカーの売上高と列車乗車運賃と比較して考えたことがあるのか。
事業として駅構内に設置するロッカーの存在を真剣に考えて見ろょ。」
と、ぼやきながら重い荷物を持ち、札幌駅構内中のロッカーを捜し廻った。
駅構内には、同じ様にロッカーを捜しまわっている人も、結構いた。
大通り公園に向かう。
札幌駅より地下鉄に乗り、大通り公園で行われているソーラン祭りの会場に向かう。
地下道より地上への階段を登るにつれて、ソーラン節のリズムの強烈な大音響が聞こえてくる。
ソーラン祭りが始まっているようである。
大通り公園の道路沿には多くの人々がいた。
先導するトラックに乗せたスピーカーからは、ソーラン節のリズムを取り入れた耳をつんざく大音響が道を覆う。
先導するトラックにリーダーらしき人が乗って、マイクでかけ声を掛ける。
そのトラックの後に続いて、踊る人々が道一杯に広がり、リズムに合わせて跳ねまくっている。
踊る一団を連という。
連には、子供連れもいる。 10数人或いは数十人の人々の連もある。ご婦人の連もある。
東京の六大学の名前を冠した連もあった。大人数の男女の学生達である。
踊る人々は、原色の派手な衣装やハッピをまとっている。
手には、カチャカチャとなる「鳴子」という小さな道具を持っている。
ソーラン祭りには、2つの取り決めがある。
一つは、演舞に使う曲の中のどこかに、必ず北海道の民謡の「ソーラン節」のフレーズを入れる。
二つは、「鳴子」を持って踊る。
この2つを守れば、後は自由である。
ロック調でも、サンバ調でも演歌調でも何でも良い。
色きらびやかな衣装を身にまとって踊る連の人々の躍動と大音響のソーラン節リズムに心地良い感動を覚えて、札幌を離れる。
余市に向かう。
レンタカーは、札幌−小樽を結ぶ高速道路を走る。
高速道路際に、白い花を付けた木々が見える。
何と云う木であろうかと思ったが、その木の名前は余市の山荘に着いて分かった。
山荘から見える山々に多くの白い花が咲く木が見えた。
80歳の誕生日を迎えた人に聞くと、
「アカシアだょ。」
と教えてくれた。
「そうかアカシアか。
金沢の北西の日本海沿に内灘という町があったが、そこに内灘砂丘があった。 内灘砂丘にはアカシアの林が続いていた。
初夏に白い花が咲き、満開の時は美しかった。」
と遠い昔、金沢で過ごした大学生の頃を思い出した。
目にした白い花の木は、アカシアと一般には云うが、正式名はニセアカシアである。
歌手西田佐知子が歌った「アカシアの雨がやむとき」(作詞水木かおる 作曲藤原秀行 1960年)の「アカシア」であり、俳優石原裕次郎が歌った「赤いハンカチ」(作詞萩原四朗 作曲上原賢六 1962年))に歌われる「アカシアの花」である。
鼻にかかった声で西田佐知子が・・・・♪アカシアの雨にうたれてこのまま死んでしまいたい・・・・・とアカシアを唄う。
取れたてリンゴのごとくの水々しさに不良っぽい雰囲気を漂わせた若き石原裕次郎が・・・・♪アカシアの花の下であの娘がそっとまぶたをふいた・・・・・とアカシアの花を唄う。
いずれの歌も私の好きな歌である。
知人の80歳の誕生を祝う会は、余市の山荘でバイオリストの奏でるバイオリンの曲を聴き、バーベキューの炉を囲み、魚、野菜を食べ、酒を飲み、初対面の人々と語りあい、祝った。
鑑定コラム1508)「塩谷の浜辺」
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