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1508)塩谷の浜辺

 余市の山荘で、お世話になった人の80歳の誕生を祝った。

 祝いの会に出席していた人々は、北海道の人々であり、札幌に多く住んでいる人達であった。

 お酒を飲みながら、私は出席者に聞いた。

 「「小樽のひとよ」の歌謡曲に歌われている「塩谷の浜辺」という浜は、余市の近くですか?
 もし近ければ、明日、帰りに寄って見たいと思いますが。
 歌にも歌われた浜は、どんな浜か歩いてみたいと思いまして。」

 出席者の人達が教えて下さった。

 「国道5号線を余市から小樽に走ります。小樽市の区域標識を過ぎてしばらくすると、道路標識の案内看板があり、塩谷浜の方向が書かれています。
 その看板の方向に道を下れば、塩谷の浜に行けます。」

 別の人が云う。

 「田原さん、塩谷の浜は、田原さんが思っているほど、広い砂浜が続く浜ではありません。波打ち際と近くを走る道路の間は広くありません。石がゴロゴロしていて、広々した砂浜ではありません。狭い浜です。
 歌に歌われているほど、ロマンチックなところではありません。何も無い浜です。余り期待して行くと、がっかりするかもしれませんょ。」

 翌日山荘を出る。

 レンタカーは、リンゴ、葡萄、サクランボ等の果樹畑が続く低い丘陵地の中の道を走る。

 走る前方の右側山の中腹に妙なものが見えてきた。

 緑の山の斜面に細長く青白くなっている山肌が見える。

 車が近づくにつれ、人の姿が見えてきた。

 山の斜面を滑り降りて、空中を飛ぶ人の姿が見える。

 アカシアの白い花に囲まれたスキーのジャンプ台であった。

 「よくあんな高い所から、空中に飛び舞い降りることが出来るものだ。とても私には怖くて出来ない。
 私は、ジャンプ台のスタート台にすら立つことは出来ない。
 脚がぶるぶる震えて立ち上がれなくなる。
 スキージャンプ選手を私は尊敬するナァ。」

 と思いながら、車を止めて、しばし眺めていた。

 6月の中旬である。サマージャンプの練習をしているようであった。

 高校の裏山にジャンプ台はあった。主ジャンプ台の傍に小さいかわいらしいジャンプ台もあった。

 下の写真が、それである。




ジャンプ台



 国道5号線よりはずれ海側に下る。下りながら左側に海が見えてきた。

 浜らしきものがみえ、街道沿に建物が建ち並んでいる。

 行き過ぎる事もあると思い、車を止めて場所を聞いて見る事にした。

 人影はない。

 店らしきものがあったので、中に入って聞いて見た。

 「塩谷の浜に行きたいのですが、どう行けば良いでしょうか。」

 「ここが塩谷浜です。」

 「エッ、ここですか。小樽のひとよの歌に歌われた塩谷の浜辺は、ここですか。」

 「そうです。その塩谷の浜辺です。」

 「そうですか。どうも有り難うございました。」

 教えて下さった人は、塩谷浜でカヌーの海遊びのレジャースポーツを教え、経営している人であった。若い人だった。

 塩谷の浜辺は、決して狭い浜では無かった。砂浜は広々していた。

 湾になっており、波は穏やかで静かな海岸であった。

 浜を歩く人は誰もいなかった。

 私一人波打ち際を、打ち寄せる小さな波の音を聞きながら、ゆっくりと歩いた。

 昭和43年(1968年)鶴岡雅義と東京ロマンチカが、「小樽のひとよ」の歌をヒットさせた。
 作詞池田充男、作曲鶴岡雅義である。

 男性コーラスの高い音程で唄っていた。

 鶴岡雅義が奏でるレキント・ギターの高い音が、強烈に耳の奥に残る。

 その二番目の歌詞に、

     ♪♪・・・・・歩いた塩谷の浜辺
       偲べば懐かし 古代の文字よ・・・・

とある。

 その歌詞に登場する塩谷の浜辺である。訪れて良かった。静かな心落ちつく良い浜であった。




塩谷の浜辺




  鑑定コラム1503)「2016年YOSAKOIソーラン祭りは終わった」


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