余市の山荘で、お世話になった人の80歳の誕生を祝った。
祝いの会に出席していた人々は、北海道の人々であり、札幌に多く住んでいる人達であった。
お酒を飲みながら、私は出席者に聞いた。
「「小樽のひとよ」の歌謡曲に歌われている「塩谷の浜辺」という浜は、余市の近くですか?
もし近ければ、明日、帰りに寄って見たいと思いますが。
歌にも歌われた浜は、どんな浜か歩いてみたいと思いまして。」
出席者の人達が教えて下さった。
「国道5号線を余市から小樽に走ります。小樽市の区域標識を過ぎてしばらくすると、道路標識の案内看板があり、塩谷浜の方向が書かれています。
その看板の方向に道を下れば、塩谷の浜に行けます。」
別の人が云う。
「田原さん、塩谷の浜は、田原さんが思っているほど、広い砂浜が続く浜ではありません。波打ち際と近くを走る道路の間は広くありません。石がゴロゴロしていて、広々した砂浜ではありません。狭い浜です。
歌に歌われているほど、ロマンチックなところではありません。何も無い浜です。余り期待して行くと、がっかりするかもしれませんょ。」
翌日山荘を出る。
レンタカーは、リンゴ、葡萄、サクランボ等の果樹畑が続く低い丘陵地の中の道を走る。
走る前方の右側山の中腹に妙なものが見えてきた。
緑の山の斜面に細長く青白くなっている山肌が見える。
車が近づくにつれ、人の姿が見えてきた。
山の斜面を滑り降りて、空中を飛ぶ人の姿が見える。
アカシアの白い花に囲まれたスキーのジャンプ台であった。
「よくあんな高い所から、空中に飛び舞い降りることが出来るものだ。とても私には怖くて出来ない。
私は、ジャンプ台のスタート台にすら立つことは出来ない。
脚がぶるぶる震えて立ち上がれなくなる。
スキージャンプ選手を私は尊敬するナァ。」
と思いながら、車を止めて、しばし眺めていた。
6月の中旬である。サマージャンプの練習をしているようであった。
高校の裏山にジャンプ台はあった。主ジャンプ台の傍に小さいかわいらしいジャンプ台もあった。
下の写真が、それである。
国道5号線よりはずれ海側に下る。下りながら左側に海が見えてきた。
浜らしきものがみえ、街道沿に建物が建ち並んでいる。
行き過ぎる事もあると思い、車を止めて場所を聞いて見る事にした。
人影はない。
店らしきものがあったので、中に入って聞いて見た。
「塩谷の浜に行きたいのですが、どう行けば良いでしょうか。」
「ここが塩谷浜です。」
「エッ、ここですか。小樽のひとよの歌に歌われた塩谷の浜辺は、ここですか。」
「そうです。その塩谷の浜辺です。」
「そうですか。どうも有り難うございました。」
教えて下さった人は、塩谷浜でカヌーの海遊びのレジャースポーツを教え、経営している人であった。若い人だった。
塩谷の浜辺は、決して狭い浜では無かった。砂浜は広々していた。
湾になっており、波は穏やかで静かな海岸であった。
浜を歩く人は誰もいなかった。
私一人波打ち際を、打ち寄せる小さな波の音を聞きながら、ゆっくりと歩いた。
昭和43年(1968年)鶴岡雅義と東京ロマンチカが、「小樽のひとよ」の歌をヒットさせた。
作詞池田充男、作曲鶴岡雅義である。
男性コーラスの高い音程で唄っていた。
鶴岡雅義が奏でるレキント・ギターの高い音が、強烈に耳の奥に残る。
その二番目の歌詞に、
♪♪・・・・・歩いた塩谷の浜辺 偲べば懐かし 古代の文字よ・・・・