不動産鑑定実務理論雑誌『Evaluation 70号』(プログレス)が、2020年1月31日に発行された。
その巻頭論文として、不動産鑑定士でありNPO首都圏定期借地借家権推進機構理事長、かつ(株)京浜不動産鑑定所代表である勝木雅治氏が、41頁に及ぶ長文の論文を発表されている。
その論文は、勝木氏が、40数年に及ぶ不動産鑑定評価業務の実務で、試行錯誤して得た知識と培われた地代・家賃の考え方が凝縮された内容である。良い論文であることから紹介したい。
論文名は、『地代設定と賃料改訂の勘どころ』という。
論文は二部構成となっている。
一部は、「地代設定」の勘どころ、二部は「賃料改訂」の勘どころである。
同じ「勘どころ」であるが、地代設定と賃料改訂の2つに何故分けたかについて、著者の勝木氏は、「新規の賃料設定に関しては地代と家賃では論理が異なる」からと説明し、「賃料改訂に関しては地代と家賃はほぼ同じ論理で扱えるので」(同誌P4)と理由を述べる。
著者は、NPO首都圏定期借地借家権推進機構の理事長をされているので、地代も主として定期借地権を中心にして論じられている。
事業用定期借地権の地代は、リカードの差額地代学説である「差額地代の第T形態論」、「差額地代の第U形態論」が当てはまると述べる。
私にとって懐かしい差額地代の第T、第U形態論が、少し展開される。
数十年の昔、実務でぶち当たり悩んだ価格現象を解こうとして、リカルド(私の学んだ書物は「リカルド」と記してあったので、今でもそのように記してしまう)の理論から発展したマルクスの差額地代第U形態論を、独学で勉強した数十年の昔を思い出す。
「蚕食的に開発された住宅地域と、開発行為によって大規模に造成築造された住宅地域が隣接している場合、2つの住宅地域の土地価格は同じ価格水準なのか。
もし開発行為によって造成された分譲地の土地価格の方が高い場合、それはどういう理由によるものなのか。その理由を担保する価格理論はあるのか。」という命題を自分で立てて、命題を解き価格説明した昔を思い出す。
勝木氏は、事業用定期借地権の地代は、リカードの差額地代理論に当てはまると述べている。その一方、現実の定期借地権の地代は、「定期借地権の地代は地価によって決めることができる」(同誌P15)と論じる。
とすると、地価は、価格比較して形成される過程で、リカードの差額地代論の要因が徐々に引きづり込まれ、内包しているということか。
土地価格に1.8%とか、4%の割合を乗じると、一般定期借地権或いは事業用定期借地権の地代が求められると云うことは、リカードの差額地代論の要因が、土地価格に1.8%分とか4%分内包されているということになろうか。
「地代は地価で決めることができる」という考え方は、不動産鑑定評価の地代を求める手法の1つである積算法の基本的な考え方である。
「地代は地価によって決めることができる」或いは「地代は地価で決めることができる」という考え方に対しては、経済学者は批判していると述べる。
その学者の批判に対して、不動産鑑定評価で採用している積算法の求め方を、次のごとく勝木氏は擁護する。
「積算法は不動産価格(地価)と賃料の関係を、社会における市場現象として観察した結果から導きだした評価手法であって、この評価手法を成り立たせているのは純粋な経済理論ではなく、社会における不動産の取引現象の観察結果から導き出された経済法則である。
事実としての取引現象を大量観察して、地価(L)に関する経験と地代(a)に関する経験を積み重ね、両方を突き合わせた結果としての、理論ではなく経験的な利回り(r)を見出し、その(r)を使って、aを[L×r=a]として(逆算して)求めることはまったく素直な行為である。
このように答えて、積算法の意義を支えよう。」(同誌P16)
と述べる。
「定期借地権には、所有権にないとてつもないパワーがある」として、そのパワーを、市街地再開発事業、農地の活性化にも生かすことが出来ると説く。
二部の賃料の勘どころとしては、契約自由の原則が民法の大きな法則であるが、その法則を民法の特別法である借地借家法は、事情変更の原則で打ち破って賃料額を決定することが出来る。
その事情の1つとして、特別な人間関係の破綻があると判例を使って説明する。
賃料紛争で解決される賃料は、「相当な賃料」である。
その相当な賃料決定の勘どころは、公平であることは大前提であるが、その上に「衡平」がより大切であると、次のごとく述べる。
「「公平の原則」による形式的・画一的な扱いでは当事者の実質的な平等は実現せず、当事者の個別的、人的関係にまで立ち入って真の平等を打ち立てることが必要になる。その指導理念が衡平である。」(同誌P34)
一読を勧める論文である。
プログレス電話番号 03-3341-6573
(追記) Eva70号には、私の論文も掲載されているが、そのことについては、別の機会に述べたい。
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