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222)日本不動産鑑定協会の副会長になった友人

 不動産鑑定の実証性とは全く関係ない話。コーヒーブレイクの話です。

 全国で不動産鑑定士は4,645人、不動産鑑定業者は1,880業者(平成15年10月1日現在)という小さな不動産鑑定業界において、2年に一回、業界の団体である社団法人日本不動産鑑定協会の役員選挙がある。

 不動産鑑定士は、日本全国で4,600余人しかいないのである。弁護士、公認会計士、税理士、司法書士、土地家屋調査士と比べても絶対的に甚だ少ない人数である。

 その不動産鑑定士の団体は、現在激動の渦に巻き込まれようとしている。
 公認会計士が数年前に味わったコンプライアンスの問題を味わおうとしている。それは不当監査という言葉が、不当鑑定という言葉に置き換えられるだけである。

 そうした時期に、私の友人が鑑定協会の副会長に立候補して、鑑定協会の一部の腐りきった性根を根本的に変えると言い出した。

 不動産鑑定士は弁護士のごとく資格者団体と一般の人は思われるかもしれないが、そうではなく業者団体である。
 資格者団体と業者団体とどう違うかといえば、結論的に簡単に言えば団体としての自治権が有るか否かということにつきる。
 この業者団体から資格者団体に法律を替える為に副会長に立候補すると友人は言い出した。

 古い友人であり、一度は止めとけと諭したが、私のいうことなど聞くはずがない。
 仕方がないから、彼を応援することにした。

 2年前は、大手不動産会社の会長から個人専業不動産鑑定士への会長の実現の為に、メルマガ戦法を使い歴史的転換に一助した。私の行動を知って、ある人は「田原は革命をやりおった」と云った。

 今回は有る事情が有り、会長選挙には首をつっこまず、友人の副会長選挙にやむを得ず首をつっこむことになった。
 友人は名前だけだからといって、勝手に私を選挙対策本部長にして、鑑定協会副会長選挙を始めてしまった。

 FX戦法をとった為、間違って全く関係の無い人の所に選挙用の文書が送信されてしまい、そのクレームの処理に追われる羽目に陥ってしまった。

 友人は知人はかなり多く持っていたが、鑑定協会の役員をやっていた訳では無いから、全国的には全く無名に近い存在であった。
 しかし、全国万遍なく票を集め、5人の副会長当選枠の中で、上位から3位で当選してくれた。

 2005年6月21日、友人は社団法人日本不動産鑑定協会副会長になった。
 これから古い体質を引きずっている不動産鑑定協会の体質を変えるのだと張り切っている。

 何とか副会長になった友人の夢が少しでも実現出来ればと思っている。

 今回の選挙では2年前にとったメルマガ戦法を行わなかった。友人のやり方に任していた。だから選挙本部長とは名ばかりで何もしなかったに等しい。しかし、選挙投票日が近づくにつれて、友人も落選の恐怖が頭をよぎり始めたのか、落ち着きが無くなり、何とか票をと云いだしはじめた。

 絶対当選するから大丈夫だと云っても、友人のその姿を見ていると、選挙本部長という立場もあり、やむを得ず今回は行うつもりは無かったが、友人にインターネットの強さ怖さが分かるよと伝えて、最初で最後の一回だけメルマガを配信した。

 その配信した選挙文書を下記に転載する。この文書を一人で30余人に転送配信してくれた知人も居る。協力してくれたそれら知人、そしてその知人の知人に感謝する。これこそがインターネットの強さであり、怖さである。

                    *

          『激動の不動産鑑定の時だ。この男を利用しよう』

 面白い男がいる。
 背はやや低く、少し小太り気味であるが、全身これエネルギーの塊ではないかと思う位、エネルギッシュな男である。
 よくまあ動けると思う位、こまめに動く。人の面倒見もよい。

こまめに動くから、当然知人、友人は多い。その交友範囲は実業界、政界、学者と幅広い。人の面倒見がよく、交友範囲が広い為、情報も集まり、入手も早い。
 東京、いや日本の不動産鑑定士の中で、情報の集まる量、最新の情報を持っている男としてはトップクラスではなかろうか。

 私と話している間も携帯電話のベルが鳴る。誰からと聞けば、政権与党の関係者からだという。

 2年前の選挙の時、降って湧いたごとく、裁判所の競売評価がなくなるといって、評価人をしている不動産鑑定士が大騒ぎをした。
 競売評価制度については、既にその4年前から、学者、国会議員の間で検討され、ほぼ廃止の方向にあった。その動きを全く知らなかったのは、当の評価人不動産鑑定士達であった。

 その男は、既にその学者、国会議員が競売評価制度の廃止の動きに流れていることを知っていた。
 それを何とか競売制度を残そうとして、一人で動いていた。
 制度を残すにはどういう方法が良いか考え、その考えを知り合いの学者、学会に頼み、「基準価額」という形で残す制度を提案した。

 評価人不動産鑑定士の多くの人々は、最低競売価額は絶対必要であると、主張するが、一体誰がそれを廃止化する法案を作るのか、どこで討議されていることすら全く知らなかった。
 最高裁に何とか最低競売価額は残してくれるように頼んでいるが、最高裁判所は裁判所の長ではあるが、立法権はない。最高裁とて立法化されれば、その法律に従わざるを得ないことになる。

 競売評価人の不動産鑑定士達にとっては、最低競売価額の廃止、「基準価額」の制度移行を唱える男は、自分達の職を奪う裏切り者だと非難した。
 非難を受けながらもその男は、「基準価額」とすることによって競売評価制度は廃止されずに残ると信じ、精力的に政権与党への関係者の説得に回った。自分の仕事を放棄して関係者を回ったのである。

 そこまでやった不動産鑑定士が他に果たしているのであろうか。

 そして結果は、競売評価制度は残す。但し、最低競売価額は廃止し、「基準価額」とし、その80%の金額まで落札価額を許すという法律が出来上がった。

 一人の、背の低い、エネルギッシュな男の働きによって、その男の最初に考えた案の通り、競売評価制度は残った。

 評価人達は仕事を失わずに済んだ。この男の働きが無かったら、競売評価制度は確実に廃止の方向にあった。
 地方の多くの不動産鑑定士は競売の評価を行っている。それらの人々は競売評価制度を救ってくれたのは誰だということをよく知らず、中にはこの男を悪くいう人すらいる。何とも身勝手な人もいるものである。

 競売評価に携わる人は、自分達の競売評価の仕事の廃止を、体を挺して、時間を惜しまずに立法関係者の説得に回って止めてくれ、制度を守ってくれた男に多大に感謝すべきと私は思う。

 その男が、今回、「副会長」に立候補すると言い出した。
 私は止めとけといったが、いうことを聞かない。
 何がやりたいのかと聞くと、『業法から士法への改正』という。
 今がそのチャンスで2年後では遅すぎるという。

 議員立法でどの様にして法律が出来上がるのかを肌身で感じ、知った男の言葉である。
 外野席で口だけで「業法から士法へ」といっている人とは、同じ発言でも迫力が違う。

 その他にはと聞くと、
 「鑑定協会は決断力が無い。サロン化している。功とげ名をあげた人々の集まりと化している。明日の業界をどうするかを考え、道筋をつけなければならない。若い人が失望する業界になりつつある。それでは駄目だ。役員70歳定年制を導入し、次の世代に将来の夢を持たせ、バトンタッチしたい」
という。
 
 自分の会社は大丈夫かと問うと、それに対しては「・・・・・・・」
 その男は本をよく読む。忙しいにもかかわらず、どこでそんな時間を作るのかと思う。
 人の話もよく聞く。
 律儀なところもある。私と共に鑑定文化を作ろうと『Evaluation』という鑑定実務理論雑誌を発刊し、その編集委員、発行会社の代表取締役をやっていたが、副会長選に出るにはメディアと離れるのが身の処し方といい、雑誌の発行会社の代表取締役及び取締役を辞め、編集委員も辞すると言い出した。本人の希望であり、止むを得ず受け入れた。
 実行力は、前記の競売評価制度で記述して証明済みだ。

 副会長に立候補するという男の名前は『平澤春樹』という。

 不動産鑑定士の中にあって、面白く、いい男だ。
 平沢氏は自分から競売制度の「基準価額」の自分の働きを自らは言おうとしない。
 私が「他人に手柄をとられるよ」といっても、「いいんだ。やらなくて自分の手柄にしたい人がいれば、そうすれば良い」という。何とも歯がゆい。

 現在は激動の鑑定界である。
 『平澤春樹』を鑑定協会に送り込んでみよう。
 平澤氏は良い仕事をしてくれるであろう。

 平澤氏の良さを多くの人に知ってもらうために、よろしかったら知り合いの人にも、このメールを転送して頂ければ幸いです。

  平成17年4月3日
    平澤春樹を副会長に推薦する人:責任者・田原拓治(住所)
    選管届済・候補者の承諾をうけています。

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