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2523) 太平洋戦争と日本の株価

 2022年2月24日のロシアによる突然のウクライナ侵攻により10ヶ月経ち、ロシアの株価は、侵攻前の2022年2月23日に1226.69ルーブルであったのが、2022年12月24日には963.51ルーブルに下落した。

 下落率は21.5%である。

 2022年2月23日のロシアの株価1226.69ルーブルを評点1.000として、2022年2月から各月24日の株価比を求めると、下記である。



年月 株価比
2022年2月 1.000
2022年3月  
2022年4月 0.757
2022年5月 1.036
2022年6月 1.153
2022年7月 0.947
2022年8月 0.966
2022年9月 0.957
2022年10月 0.864
2022年11月 0.941
2022年12月 0.785

 上記株価比をグラフ化したのが、下図である。



ロシア株価比 2022年12月



 戦争を始めた当事者国の株価は、戦争を始めてどの様に株価は変動するであろうかと思い、太平洋戦争を引きおこした日本の太平洋戦争時の株価指数はどの様に変動したものかと思い、調べて見ようと思った。

 簡単に株価データは見つかるであろうと思ったが、なかなか太平洋戦争時の株式指数の具体的数値が見つからない。

 図書館に戦時中の新聞の縮小版があるであろうと思い、府中市中央図書館に蔵書があるか確かかめようとネット検索したら、来年2023年2月28日迄建物修繕工事で閉館という。隣の国分寺市にある都立多摩図書館は開いているであろうとネットで検索すると空調設備工事で、来年3月いっぱい迄臨時休館という。

 それでは、広尾有栖川公園にある東京都立中央図書館は開いていると思いパソコンのネットで調べると、ここも天井改修工事で来年2月いっぱい迄休館という。

 止むを得ず、再度パソコンに向い、検索用語をいくつも変えてネット検索することにした。検索された幾つかの論文や検索記事を読んでも、目的とする株価の具体的数値はなかなか見つからない。

 これほど見つからないとは思ってもいなかった。

 ようやく、経済評論家の加谷珪一氏が、『戦時中の株価を比較すれば、日米の「圧倒的な差」が見えてくる』(現代ビジネス 2017年8月23日)という記事において、太平洋戦争時の日本株価について述べているのを見つけた。

 下記である。

 「太平洋戦争の開戦時、当時の株価指数は140前後で推移していた。上下変動がありながらも、株価はジワジワと上昇し、ピーク時には220を突破、最終的には200前後で終戦を迎えた。

 言うまでもないと思うが、この株価は日本経済の実態をそのまま反映したものではない。

 戦争の開始と前後して、政府は徹底的な企業統制と、公的機関などを通じた株価の買い支えを行った。こうした各種統制によって、市場では公的な売買が多数を占めるようになり、最終的には市場としての機能を事実上失ってしまった。そして、その状態のまま終戦を迎えた。」

 上記引用記事のアドレスは

   https://gendai.media/articles/-/52654
です。

 (アドレスをドラッグコピーして、自分宛のメールにアドレスをコピー貼り付けして、自分宛にメールを送信して、自分宛に来たメールの中の青字等カラー文字のアドレスをクリックすれば、繋がります。)

 株価指数について太平洋戦争開始時は140前後、ピークは220を突破、終戦時は200前後と述べている。

 株価の出典先が書かれていないので、再び戦時中の株価はどれ程であったのか、ネットでいろいろ調べて見た。

 なかなか具体的な株価或いは株価指数を記しているものが見つからなかった。

 ネットをいじくり回して、一日かかってやっと見つかった。

 横浜商科大学の竹中清之助教授の研究論文『太平洋戦争下の証券市場』(横浜商科大学 横浜商大論集 4巻1号P78〜91 1970年9月27日)という論文である。

 竹中清之助教授の研究論文の中に、具体的に株価指数が出てくる。その株価指数を書き写しまとめると、下記である。


年月 株価指数 出典頁
昭和16年11月 145.0 P80
昭和17年1月 173.3  
昭和17年5月 190.0  
昭和17年11月 212.7  
昭和17年11月 221.7  
昭和17年12月 202.7 P88
昭和18年7月 221.6  
昭和18年12月 207.3  
昭和19年3月 202.9  
昭和19年4月 199.9  
昭和19年5月 153.9 P89
昭和19年10月 209.6  
昭和19年11月 217.8  
昭和20年1月 215.2  
昭和20年2月 205.1 P90
昭和20年3月 193.2  
昭和20年4月 206.3 P91
昭和20年8月 207.2  

(注)昭和17年11月には2つの株価指数がある。


 真珠湾攻撃により太平洋戦争が始まり、最初は勝ち戦で株価もぐんぐん上がっているが、途中から大幅下落し、不思議なことに終戦時は、開戦時の株価よりも高い価格で終わっている。

 本当かいなと思われる株価指数の推移である。

 上記株価をグラフに図示したのが、下図である。




太平洋戦争時の日本の株価



 株価指数を見ると、加谷珪一氏の評論記事の数値と似ている。加谷珪一氏はこの竹中清之助教授の研究論文を参考にして、評論記事を書いているのでは無かろうかと推測される。

 竹中教授の研究論文は、昭和16年12月8日の日本軍の米国ハワイの真珠湾攻撃が成功した時の株価の上昇の状況も綴られている。

 太平洋戦争の戦況が良く、株式の上昇が続き、増資しょうとすると、増資新株割当制限がなされ、増資の幾ばくは戦費供出となり、次第に統制される様になる状況が記述されている。

 戦況が悪くなり、株式が下落すると戦時金融公庫の買い支えが行われ、株価は市場価格からかけ離れてきたと述べる。

 そして、昭和20年8月9日のソ連参戦により、株式市場の混乱を恐れ、大蔵省は株式売買の立ち会い停止をだしたと述べる。

 加谷珪一氏が述べる「この株価は日本経済の実態をそのまま反映したものではない。」と云う株価指数と云うことになる。

 それ故、太平洋戦争勃発時前の145.0の株価指数は、受け入れられるが、昭和20年8月の207.2の株価指数は、信用出来る株価数値ではないということになる。

 原爆2発落とされて、壊滅的な負け戦をしていて、株価が開戦時に比し1.42倍(207.20÷145.0=1.42)の金額になるということなど、戦後の敗戦状態を見ればあり得ない数値である。

 戦争を引きおこした日本の太平洋戦争時の株価の状況を知ると、ウクライナ侵攻を引きおこしたロシアの株価は、どの様に見ていればよいのであろうか。

 竹中清之助教授は、研究論文として大変良い論文を残して下さった。

 この論文を見つけるまで、丸一日私は費やしている。私に取って、この鑑定コラム記事は大切な記事の一つとなる。

 竹中清之助教授の研究論文 『太平洋戦争下の証券市場』のアドレスは、下記である。

     http://id.nii.ac.jp/1389/00001011/
   
 (アドレスをドラッグコピーして、自分宛のメールにアドレスをコピー貼り付けして、自分宛にメールを送信して、自分宛に来たメールの中の青字等カラー文字のアドレスをクリックすれば、繋がります。)


  鑑定コラム2522)「ロシア、ウクライナ侵攻10ヶ月目 ロシア株価 大暴落」


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