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476)裕次郎の「錆びたナイフ」と啄木の『一握の砂』

 夏は終わり秋も晩秋に入った。
 金、金、金、倒産、そして日経平均株価の8000円割れの暴落、ダウの連日の500ドル下落等と、全く面白くない事ばかりが続きイヤになる。

 この大事な時に、アメリカ大統領のジョージ・ブッシュの存在感がまるでない。出しゃばりの目立ちたがり屋では無いかと思いたくなる程、フランスのサルコジ大統領が、やたらに新聞・テレビに出ている。

 これら日本経済、世界の政治・経済とは全く無縁のしばしの時間を。

 石原裕次郎が、「・・・・・小島の秋だ」と歌う「錆びたナイフ」の歌詞と、啄木の詩集『一握の砂』とは関係があると知って、私は驚いた。

   「東海の 小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる」

の短歌に始まる石川啄木の詩集『一握の砂』には、500余首が詠われている。

 その中で、私の好きな短歌が数首ある。

   「砂山の 砂に腹這ひ初恋の いたみを遠く おもい出づる日」

   「たはむれに 母を背負いてそのあまり 軽きに泣きて 三歩あゆまず」

   「はたらけど はたらけど なおわがくらし楽にならざり ぢっと手を見る」

   「ふるさとの 訛りなつかし停車場の 人ごみの中に そを聴きにゆく」

   「ふるさとの 山に向かいて言うことなし ふるさとの山は ありがたきかな」

の短歌である。

 最後の「ふるさとの山に向かいて・・・・」の、私にとっての「ふるさとの山」は、中央アルプスの最南端の恵那山である。
 故郷の南にどっしりと構えた山容は、高校時代まで朝な夕なに毎日見てきた姿であり風景で有って、それはまぶたに焼き付いている。

 私の好きな歌謡曲の1つに石原裕次郎が歌った「錆びたナイフ」という流行歌がある。
 作詞萩原四郎、作曲上原賢六で、昭和32年頃に作られヒットした歌謡曲である。

 「砂山の砂を 指で掘ってたら
  真っ赤に錆びた ジャツクナイフが出てきたよ
  どこのどいつがうずめたか 胸にじんとくる小島の秋だ」

 今でも時々口ずさむ。

 この「錆びたナイフ」の歌詞が、啄木の『一握の砂』の中の一首を土台にして作られていると知って驚いた。

 2008年7月6日の読売新聞の「ご当地ソング」というコラムがあり、音楽文化研究家の長田暁二氏が、香川県の巻として、「錆びたナイフ」の歌詞が作られたいきさつを大要下記のごとく述べられている。

 作詞家萩原四郎は、その頃テイチクレコード会社の文芸部長であった。
 萩原四郎は旧制高松高商(現・香川大学)の出身で、学生時代は学校をさぼり、高松の沖合の女木島に行き、日がな浜辺に寝ころび、好きな石川啄木の『一握の砂』を愛誦していた。

 石原裕次郎の歌を作る時、女木島の思い出が浮かんできた。

   「いたく錆し ピストル出でぬ砂山の 砂を指もて 掘りあてありし」

の愛誦した詩が想い出されてきた。

 この啄木の詩を土台にし、ピストルの部分をナイフに置き換えて、一気に「錆びたナイフ」の歌詞を書き上げたと長田暁二氏 は述べる。

 啄木の『一握の砂』の詩からの歌詞であることを明確にするために、「東海の 小島の磯の・・・・」の「小島の磯」を「小島の秋だ」としたのでは無かろうかと私は推測する。

 啄木の『一握の砂』に、「いたく錆し・・・」 の短歌などあったのかと私は思い、『一握の砂』を改めて読んでみた。

 詩集の4番目という早い順番の位置にその短歌はあった。
 6番目には、私の好きな短歌の1つとして先に記した「砂山の 砂に腹這い初恋の いたみを遠く おもい出づる日」がある。

 石原裕次郎の歌う「錆びたナイフ」と、啄木の『一握の砂』の詩とがつながっているとは、私は全く知らなかった。

 萩原四郎は、啄木の「いたく錆し・・・・」の詩を、少し不良的なイメージを持たせ、男っぽい歌詞にして石原裕次郎にぴったしの歌に良くしたものだ。

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