○鑑定コラム



フレーム表示されていない場合はこちらへ トップページ

田原都市鑑定の最新の鑑定コラムへはトップページへ

前のページへ
次のページへ
鑑定コラム全目次へ

726) 2010年末 金沢にて

 2010年の年末である12月29日、30日に私事で急遽、金沢に行って来た。
 急なことであり、飛行機の搭乗券、ホテルの宿泊予約が取れるか心配であったが、何とか手にすることが出来た。

 2日間に渡る私事の間の時間を見つけて、せめて兼六園だけでも見ておきたいと思い、雪の兼六園を訪れた。
 昔は入場料は必要無かったが、300円の料金が必要だった。

 ことじ灯籠と雪吊りの景色のみを見てきた。
 懐かしい風景である。


金沢1


金沢2


 冬の金沢は大学卒業以来である。

 兼六園より金沢城の石川門を眺めた。


金沢3


 大学は城の中にあったため、かっての昔、この門をくぐり大学に通った。

 城の北東側のお堀が空堀となっている。
 そこは白鳥路と呼ばれる通路である。
 その入り口に前田家の初代である前田利家の銅像がある。りりしい顔立ちである。


金沢4


   みぞれ雪の中を、久しぶりに白鳥路を歩いた。


金沢5


 その途中に金沢が生んだ3人の文豪の銅像がある。

 左手前から室生犀星、泉鏡花、徳田秋声の3人の銅像である。


金沢6


 徳田秋声は「あらくれ」という小説を書いている。
 泉鏡花は「高野聖」、「婦系図」の小説を書いている。

 「婦系図」は東京・湯島天神でのおつた、主税の悲恋物語で、映画化されている。

 室生犀星は小説家でもあり、詩人でもある。
 「杏っ子」という小説がある。

 詩は、私が好きな次の詩がある。
   

     ふるさとは遠きにありて思ふもの
    そして悲しくうたふもの
    ・・・・
    ・・・・
    ・・・・
    ひとり都のゆふぐれに
    ふるさとおもひ涙ぐむ
    ・・・・

 宿泊は金沢城のそば、白鳥路に近く、白鳥路の名前をとってつけた「白鳥路ホテル」に宿泊した。

 平成バブルの頃に建て、しつかりした造りで金を掛けたホテルの建物・調度品である。

 このホテルには私も愛着がある。

 東京のある会合があった。
 ケン・コーポレーションの役員の方が出席されていた。

 ケンの役員の方が、「金沢にホテルを持っている。」
と言うので、それは何処かと私が聞いた。

 「白鳥路ホテルというホテルです。」
という。
 白鳥路ホテルと聞いて、私はびっくりしてしまった。

私は、
 「ケンが白鳥路ホテルを手に入れたのですか。」
と問うた。

 「田原さん。
 白鳥路ホテルを知っているのですか。」
とケンの役員は、私に怪訝そうな顔をして問う。

 「知っているどころではありません。バブルが崩壊したあと、縁あって私が鑑定評価しました案件です。
 ホテルの中を見ています。」

 「エッ、田原さんが鑑定評価していたのですか。
 それをうちが買ったと云うことですか・・・・・」

 金沢の旧市街地で温泉の出るホテルは、白鳥路ホテルのみでは無かろうかと思う。

 泉質はアルカリ性で、PHは7少し、源泉温度は37度Cであるから、わかしていることになる。

 金沢には余り行く機会はないが、金沢に行った時の私の宿は、「白鳥路ホテル」になりそうである。


  鑑定コラム1009)「石川県内灘町の賃料が上がっている(24年10月)」

  鑑定コラム1322)「金沢への北陸新幹線の切符、ホテルが取れない」


フレーム表示されていない場合はこちらへ トップページ

田原都市鑑定の最新の鑑定コラムへはトップページへ

前のページへ
次のページへ
鑑定コラム全目次へ