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747)田中美知太郎教授はどう云うであろうか(福島第一原子力発電所事故)

 2011年3月11日の東北地方・太平洋沖地震(マグニチュード9.0)に伴う津波によって、福島第一原子力発電所の稼働中の3機の原子力発電機が自動停止した。

 マグニチュード9.0の地震には耐えたが、そのあと約30分後に襲ってきた津波によって、原子炉を冷やす水を循環させる発電機と関連機器が壊され稼働しなくなってしまった。

 原子炉を冷やす装置が故障してしまった為、原子炉の温度があがり、原子炉の中の冷却水は蒸発し、本来ならば燃料棒は冷却水の中に入っているのであるが、長さの1/4が原子炉の中の空気に触れる状態になってしまった。

 一方、原因がどうしてか私には分からないが、原子炉を覆い隠す建屋が、水蒸気爆発によって壊れてしまった。

 そして放射能が空中に飛び散った。

 それまで0.05マイクロシーベルト程度(1マイクロシーベルトは、1/1000ミリシーベルトである。言葉を換えれば、1000マイクロシーベルトが1ミリシーベルトである。)であったのが、400ミリシーベルトの放射線量が、原発正門で計測された。
 原子炉の溶解、即ちメルトダウンが生じている可能性が高くなった。

 これは1時間あたりの放射線量である。

 もし400ミリシーベルトを1日間浴びたとすると、

     400ミリシーベルト×1日×24時間=9,600ミリシーベルト

9,600ミリシーベルトになる。

 1,000ミリシーベルトは1シーベルトであるから、9.6シーベルトと云うことになる。

 1999年9月30日茨城県東海村のJCOで発生した原子力事故は、作業中に核分裂による中性子を浴びて現場作業員が2人死亡した。
 この時に作業員2人の浴びた放射線量は、2〜6シーベルトと云われている。

 9.6シーベルトは、確実な致死量の放射線量である。例外なく人は死亡する。

 福島第一原子力発電所で、400ミリシーベルトの放射線量が計測された瞬間(2011年3月15日)に、「原子力発電所は絶対安全である」という日本の原発の安全神話が崩れた歴史的瞬間である。

 東京電力のホームページで同社社長は挨拶として、「安全・安心な原子力発電所の構築」を積極的に取り組んで行くと宣言している。

 又同ホームページでは、原子力の安全性については、原子炉固有の自己制御性と多重防護の考え方で安全対策が講じられていると云う。

 また、津波対策については、

 「周辺で過去に発生した津波の記録を十分調査するとともに、過去最大の津波を上回る、地震学的に想定される最大級の津波を数値シュミレーションにより評価し、重要施設の安全性を確認しています。また発電所敷地の高さに余裕を持たせるなどの様々な安全対策を講じています。」
と、津波にも安全であることを主張している。

 しかし、津波によって冷却水装置が海水を被ると、装置はあっけなく使用出来なくなってしまった。

 冷却水の循環がストップし、400ミリシーベルトという高濃度の放射能が発生した。

 これが安全であるという考え方、理屈というものであろうか。
 お粗末な科学的見知の考え方、頭でっかちの専門家の奢りと非難されても仕方無かろう。

 放射能の拡散によって、周囲20kmに居住の人々は、他所に避難するようにという政府命令が出され、避難しなければならなくなってしまった。

 地震と津波と放射能のトリプルパンチを受けることになった。

 そもそも、原子力発電所の安全三原則は、

        1.原子炉を止める。
        2.原子炉を冷やす。
        3.放射能物質を閉じ込める。

の3つである。

 この3つを実行するにはどうすれば良いのかと、考えればよいのである。
 そして東京電力の発言から見れば、上記3つに対して十分に安全対策は考えられ、行われていたことになる。

 今回、原子炉は止まった。
 原子炉は止まったが、本来予備の発電機が作動し冷却水装置が稼働するはずであった。そうしないと熱くなった原子炉を冷やすことが出来なくなってしまう。しかし今回は予備の発電機が作動せず、原子炉を冷やすことに失敗した。

 それは安易な津波対策しかしていなかったことに原因する。それを過去最大の津波に対しても十分対応していますと東京電力はホームページで豪語しているのである。

 原子炉冷却装置が作動しないために、放射能が外部に漏れてしまった。

 東京電力は、原子力発電所の耐震安全性について、経済産業省原子力安全・保安院の指導に基づき、毎年施設安全の点検を行っていると云って、「原子力の安全性」を役所の存在をにおわしてアピールしていたが、その東京電力の「原子力の安全性」の主張は、全く信用出来ないものであったということになる。

 2011年3月15日の朝日新聞によれば、東京電力の想定の津波の高さは5mで、実際に襲ってきた津波の高さは10mであったと報道する。
 襲ってきた津波の海水が冷却装置の発電機の中に入り、発電機が使え無くなってしまったということか。予備の発電機も使え無くなってしまったのである。冷却装置の発電機、予備の発電機を高台に置くと云うことを何故考え無かったのか。

 たかだか10mの津波の襲来が予測出来なかったのか。
 津波の海水を被ったら、非常用発電機は使え無くなるということが分からなかったのか。その防護策を考えなかったのか。

 東京電力は想定外の津波によるものであったから、不可抗力であったといいたいであろうが、1896年の明治三陸地震では、岩手県綾里で、38.2mの高さの津波が、1923年の関東地震では、熱海で12mの高さの津波が押し寄せている。
 これらより考えれば5mの想定津波など科学者たる人が考えるレベルか。
 歴史的事実から検討すれば、40mの津波を想定すべきであったろう。

 東京電力は、原子力発電所の津波対策として、前記で延べたごとく、

 「周辺で過去に発生した津波の記録を十分調査するとともに、過去最大の津波を上回る」津波に対しても対応していると云う。

 想定外の津波によるものであったという言い逃れは出来ない。

 科学万能主義を信じ込み、科学の力におぼれ、過信し、知を超えた自然の力の存在を小馬鹿にしていたところがあるのではなかろうか。

 ソクラテスのいう「無知の知」の知識が、根本的に欠如していたと云っても良いであろう。

 ソクラテスは云う。

 「知に対する節度をわきまえない独断論者達は、どこかでつまづき、知りもしないことに踊らされ、翻弄され、そうならない。」

 ソクラテス、プラトンを研究していた京都大学の故田中美知太郎教授が、今回の事故を知ったらどう云うのであろうか。

 ソクラテス、プラトンの哲学を修めた田中美知太郎教授は、哲学の考え方をベースにして、社会現象、経済現象、政治現象について、全く分野が違うのにも係わらず、それら現象の根本が何で生じているのか見抜き、鋭く明確な言葉で批判し説明してくれた。それも極めて分かり易い言葉を使って。

 私は、社会人になって何か事件があった時、田中美知太郎教授はこれについてどういう考えを述べるであろうかと思ったことが何度もある。

 今でも想い出す言葉のひとつは、

 「平和憲法だけで平和が保証されるなら、ついでに台風の襲来も憲法で禁止しておいた方がよかったかもしれない」

という強烈な皮肉の言葉である。
 この言葉を、私は田中美知太郎の「平和台風論」として、今でも記憶している。

 田中美知太郎教授が生きていたら、今回の福島第一原子力発電所の事故について、どの様な言葉を発するであろうか。
 聞いて見たい。


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 (追記)
 4月9日NHKは、想定津波の高さは5.7mで、実際に押し寄せてきた津波の高さは15mであったと伝える。

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