関越自動車道路を東松山インターチェンジで降りる。
同ICより一般道路を桐生に向かう。
太田の市街地を抜け、太田桐生線(通称「東国文化歴史街道」)を走ると、左手に、高さ200m程度の丘陵の山並が見える。金山と呼ばれる山で、新田義貞の居城のあった山である。
新田義貞は、ここより挙兵し、南下して途中武蔵國府中の多摩川の分倍河原の戦いを勝って、一気に鎌倉まで攻めることになる。府中には、多摩川の左岸に「分倍河原」という駅があり、その駅前広場には新田義貞の騎馬像が建っている。
「東国文化歴史街道」を走っていたら、「芝桜まつり」という真新しい道路立て看板が目に入った。左方向の矢印が示してある。
「・・・・芝桜まつり?
芝桜が見えるのか。
・・・・寄って見ていこ。」
と車のハンドルを左に切って、矢印方向の道しるべに従った。
車を走らせると、行く手右前方の南斜面に、一面赤色のジュータンのごとくものが見えて来た。芝桜であった。
北海道の7月のラベンダーの前に咲き誇る滝上町の芝桜、大空町東藻琴の芝桜を、いつの日にか見に行きたいと思っていた。
しかし、その思いは未だ実現出来ていない。
写真で見る一面の斜面を覆い尽くす芝桜の美しさに想いを寄せて、ずっと過ごして来たが、突然思いも掛けずに「芝桜まつり」の看板を見、それに引き寄せられて、待望の芝桜の群生を見ることが出来た。
群馬太田市の太田市北部運動公園に、芝桜は咲き誇っていた。
白色、紅色の芝桜の群生は美しかった。丘を色柄のジュータンを敷き詰めた様であった。
高台に腰を落とし、芝桜の群生に、しばし時を忘れ見とれていた。
もうこれで、北海道の滝上町、東藻琴の芝桜を見なくても、芝桜に充分堪能した。
花は良い。
花の群生はなお良い。心を和ませてくれる。
芝桜公園を作ってくれた太田市役所に感謝する。芝桜・ポピーまつりは、平成23年5月22日まで開かれている由。
下記に私が見た太田市の芝桜の群生の写真を載せる。カメラの腕前が悪いことと、デジカメの性能が劣ることをお許し頂きたい。実際はもっと色鮮やかです。クリックすると画像が大きくなります。
ネットに北海道の滝上町、東藻琴の芝桜の写真をフリーで公開しているのがある。著作権は主張するが、ホームページ・ブログへの転載は、出典を明示すれば無料で許諾するという。
「北海道無料写真素材集 DO PHOTO」
というホームページである。アドレスは、
http://photo.hokkaido-blog.com/
である。
その「北海道無料写真素材集 DO PHOTO」の無料公開の写真の中より、滝上町、東藻琴の芝桜の写真の中より、一つずつ下記に貼り付ける。
最初の写真は、滝上町の芝桜で、次が東藻琴の芝桜である。プロの腕前はさすがに違う。私のとは出来映えが違うと云うのか格が違う。しかしこれら写真を見ると、やはり北海道に行ってみてみたくなる。写真を見た人にそう想わせるのがプロの腕前と云うものか。
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