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1182)「いんぎんな苛酷さに守られた傲慢きわまる衰弱の美の薔薇窓」とは

 別荘地は、「軽井沢によく似た地形であるが、あんな貧乏人の背のびではない。もっと金がかかっている」。

 別荘の窓は、「いんぎんな苛酷さに守られた傲慢きわまる衰弱の美の薔薇窓」をふちどっている。

 この様に描写される別荘地は、どこの別荘地であろうか。

 軽井沢の別荘地は、貧乏人の背のびした別荘地であるという。

 軽井沢の別荘地よりも、「もっと金がかかっている」別荘地という。

 「いんぎんな苛酷さに守られた」窓とはどの様な窓であろうか。

 「傲慢きわまる衰弱の美」とは、どの様な美であろうか。

 私には全く分からない「美」である。想像すら出来ない「美」である。

 描写される「美」を窓に漂わせる別荘地とは、どこの別荘地であろうか。

 不動産鑑定は、別荘地と無関係では無い。

 軽井沢、箱根、伊豆、那須等あちこちの別荘地の評価を、私は今までしてきた。

 日本を代表する別荘地である軽井沢別荘地を「貧乏人の背のびした別荘地」とまで、断じる人は一体誰であろうか。

 その別荘地はベトナムのダラットの別荘地であり、軽井沢を「貧乏人の背のびした別荘地」と言い放った人は、開高健である。

 今から50年前に発刊された開高健の『ベトナム戦記』に、50年前のベトナムのダラットの別荘地の状況を、開高健は上記述べたごとくの文章で表現した。

 ベトナムを植民地支配したフランス人が作り挙げた別荘地のようである。

 表現は、開高健の強烈な皮肉が込められた難解な描写である。

 50年後に改めて開高健の『ベトナム戦記』を読み、ベトナムのダラットの別荘地の存在を知った。

 そして開高健のダラットの別荘地の皮肉な表現による見方を知った。

 今も薔薇窓の建物があるかどうか分からないが、ダラットに行って、開高健が表現した「いんぎんな苛酷さに守られた傲慢きわまる衰弱の美の薔薇窓」の別荘地を見てみたい気もする。

 しかし、その実現は無理であろう。

 『ベトナム戦記』を再読するのが遅すぎた。


  鑑定コラム1181)
「開高健の『ベトナム戦記』」

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