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1263)2度目の鳥取県を火野正平5連者は行く

 2014年9月22日より、NHK−BSプレミアムで、火野正平の自転車日本縦断こころ旅『2014年秋』が始まった。

 『2014年秋』は、「ちびりそう」の惹句と映像が私の脳裏に強烈に残る大阪を出発地として、京都、兵庫、鳥取、島根、山口そして九州に渡り、沖縄へと行く旅である。

 2014年10月6日の週は、正平5連者隊は、鳥取県を走った。
 3年振りの鳥取県である。

 3年前は、鳥取の観光地の鳥取砂丘を火野正平は歩いたが、今回は傍を走る街道の歌碑の前で休憩するだけであった。

 通り過ぎの一服である。

 火野正平が一服した歌碑とは、誰の歌碑か。

 有島武郎の歌碑であった。

 その歌碑には、

    「浜坂の遠き砂丘のなかのしてさびしきわれを見出でつるかも」

という短歌が刻まれていた。

 有島武郎は、鳥取の砂丘をみて、

    ・・・・・さびしきわれを 見出でつるかも

と歌った。

 砂丘から、自分の心の中のどんな寂しさを発見したのであろうか。

 この歌を詠んで、1ヶ月後に有島武郎は、愛する人と一緒に自殺したという。

 この有島武郎の愛人との自殺によって、鳥取砂丘は全国的に有名になったという。

 私は有島武郎が、鳥取砂丘を訪れたということなぞ知らなく、有島の死によって、鳥取砂丘が全国的に有名になったことなぞ全く知らなかった。

 有島武郎の小説は、『生れ出づる悩み』しか読んだことが無い。
 『カインの末裔』、『小さき者へ』という小説も有名と聞く。

 『小さき者へ』の小説の一部が書かれた碑は、北海道札幌の大通公園に建っていたことを思い出す。その碑はイサムノグチの彫刻である黒い滑り台(『ブラック・スライド・マントラ』)の近くにあったと記憶している。

 私が有島武郎の名を強く覚えているのは、その素晴らしき兄弟の存在である。
 有島武郎は長男である。
 次男は画家の有島生馬であり、三男は作家の里見クである。
 この三兄弟には、どんな血が流れていたのか。

 有島武郎には子供がいた。長男が、美男映画俳優の森雅之である。

 森雅之は、黒沢明の『羅生門』で、ベネチア映画祭で金獅子賞を受賞する。
 溝口健二監督の『雨月物語』で、ベネチア映画祭で銀獅子賞を受賞する。

 火野正平の鳥取の魚見台の「覗岩」の旅には笑ってしまった。

 鳥取に転勤になり、子供が小学生の低学年の頃、魚見台に行った時、子供が魚見台の展望台にある「覗岩」にある丸い覗き穴に頭と体を入れたが、途中でもがき始めた。穴から体が抜けられなくなってしまった。

 引いても、押しても穴からぬけだすことが出来なかった。
 魚見台にいた人々に手伝ってもらって、30分間ほどして、やっと穴から体を抜くことが出来たという。

 その思い出の「覗岩」を火野正平に見てきてくれという手紙である。

 魚見台の「覗岩」は目のごとく2つの穴があいていた。
 小さな穴である。
 その穴に良く体が入ったなと思う。

 テレビの映像に映る小さな穴に、体を抜こうとして、もがき、バタバタする子供の姿を想像して笑ってしまった。

 当の子供と親は必死であったであろうが。

 御来屋駅から大山町鈑戸(たたらと)の両墓制の旅は、思わぬ人の出会いが待っており、筋書きの無いドラマが展開した。

 「御来屋」は「みくりや」と読むようだ。
 言葉から聞くと、当て字では無いかと思う。

 「みくりや」と聞くと、「御厨」が浮かんで来る。
 「御来屋」は、「御厨」のことではなかろうか。

 「御厨」という言葉を使用することは、畏れ多く憚れるということから「御来屋」という文字を当て字としたのではなかろうか。

 「御厨」となると、相当由緒ある地域と思われる。
 「御厨」の「御」は、神を意味し、天皇もしくは神社である。
 「厨」とは、その台所を意味する。

 「御厨」とは、天皇もしくは~社に供える魚貝類・果物類等の食べ物を作るための建物、もしくは皇室、神社の所領を意味する。

 後醍醐天皇が隠岐の島に流され、倒幕のため島を脱出してたどり着いたのが、「御来屋」の港ではなかったか。

 「鈑戸(たたらと)」という地名も、古く由緒ある地名ではなかろうかと思われる。

 「たたら」は、製鉄を意味する。この地域で鉄鉱石か砂鉄が出たのか。
 「と」は、出入り口を意味する。

 「たたらと」は、製鉄する場所の入り口或いは砂鉄採掘場の入り口ということか。
  但し、この解釈は、私が勝手に推測したものである。全く間違いであるかもしれない。

 3年前、正平は、大山の鍵掛峠から見た大山南壁のこころ旅をした。
 私のこころ旅のベスト3にランクする旅であるが、その旅の苦しさを正平は、今回走りながらつぶやいていた。
 自身も思い出深い旅であった様だ。

 今回の旅の坂道は、3年前と重なる個所があった。
 正平は、坂道をあえぎあえぎ登る。
 バス停に来た時、正平は3年前のバスの輪行を思い出し、言葉にする。

 バスの乗客は、こころ旅のスタッフの他に一人の老婦人ぐらいであった。
 バスの中で、正平とスタッフの雑談が続く。

 前の方に座っている老婦人は、スタッフの雑談に全く興味無く、NHKの旅番組であることも知らぬらしく、そして火野正平が乗っていることも知らぬごとくであった。

 バス停にバスは停まった。
 老婦人は席を立った。

 正平に向かって、そっと、
 「見ています。」
と云って、バスを降りた。

 バスを降りた後、小道の向こうから、正平に向かって激しく手を振り続けた。
 可愛らしい老婦人であった。

 正平は、鍵掛峠の坂道のつらさが思い出させるのか、3年前に手を激しく振ってくれた老婦人の姿の状景を思い出すごとくつぶやく。

 鈑戸の両墓制の目的地に着いた。

 目的地には、いくつもの河原石を積み上げた塚のごとくのものが無数あった。
 死者を埋葬したものであった。「野墓」と呼ばれるものであるようだ。

 髪等の一部を埋めた正式の墓は、別途にある。

 これが、鈑戸の両墓制というものである。

 正平は、両墓制について地元の人に詳しく話を聞こうと、村人を捜すが誰もいない。
 
 やっと、遠くの道を4輪の電動自転車に乗った人が橋を渡るのが見えた。

 火野正平は大声を出して、橋を渡って行こうとする人を呼び止めた。

 声が聞こえたのか、4輪の電動自転車が方向転換し、火野正平のいる方向に向かおうとし始めた。

 火野正平も急いで村人の方向に向かった。

 正平に近づいてくる人は、年老いた婦人であった。

 撮影カメラから遠く離れたところで、老婦人と正平は向き合った。
 老婦人は小躍りしている。
 出会った老婦人と正平は何事か話していた。

 突然、二人は抱き合った。
 正平は老婦人の背中を軽く叩いていた。

 二人で何を話したのか。遠くて話の内容は、分からない。

 カメラは急いで二人に近づく。

 正平は近づくカメラに向かって、大声で云う。

 「あのときのご婦人です。
 3年振りの再会です。
 こんなところで逢うとは。」

と驚きの声を上げる。

 両墓制を詳しく聞こうと呼び止めた人は、3年前バスを降りる時に、
 「見ています」
と言ってバスを降り、去りゆくバスの正平に激しく別れの手を振ってくれた老婦人であったのである。

 あまりの偶然に、正平は、監督に向かって、

 「監督!
仕込みですか?」

と聞く。

 監督は、
 「いや、仕込みでは全くありません。」
と強く否定する。

 大山町鈑戸(たたらと)の両墓制をこころの風景として、投稿されたのは、大阪に住む女性であった。
 そのこころの風景を投稿された女性が、なんと火野正平が再会した老婦人の娘さんであると云うことが、その後分かった。

 ドラマを地に行くごとくの展開で、実際にそんな事もあり得るのかと思われる3年の時間を引きづった感動する出会いであった。

 下記に、3年前の鍵掛峠の柵に腰掛ける火野正平の写真のアドレスを記す。
 NHK−BSプレミアムのこころ旅番組のブログに掲載されているものである。素晴らしい良いショットの写真である。鑑定コラム1131で見た新聞記事の写真も、この写真であったようだ。

    
http://www.nhk.or.jp/kokorotabi-blog/image/doya-gao_kagikake.jpg


  鑑定コラム1131)「舘山寺温泉 pH7.4 泉温33.7度」

  鑑定コラム820)「火野正平自転車のこころ旅」

  鑑定コラム987)「札幌大通公園のイサムノグチの彫刻」

  鑑定コラム1294)「火野正平の「こころ旅2014年 秋」は終わった」


  

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