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1294)火野正平の「こころ旅2014年 秋」は終わった

 NHK−BSプレミアムの番組である火野正平の自転車による日本縦断「こころ旅2014年 秋」編は、2014年12月19日(金)で終了した。

 最後の旅は、沖縄の宮古島で育てられている「宮古馬」を訪ねるこころ旅であった。

 南の沖縄とはいえ、冬の風のある雨の日は寒い。

 正平と旅の一行は、寒かったのではなかろうか。

 雨の中むかい風が強く、自転車はスイスイと進まない状態であった。

 宮古馬はどこにいるのかと正平のぼやきが出る頃に、ひょこりとその馬に遭遇した。

 こころ旅の手紙の主は、人生に疲れ夢破れ、風雨の日に、日本の南の果て近くの宮古島に来て、あてもなくさまよっていた。

 さまよっていて、偶然、西平安名崎近くのスマヌーマ牧場の宮古馬に出会った。

 馬たちは、今にも屋根が風で吹っ飛びそうな小屋の中で、強風に吹かれ、雨にびっしょり濡れながら互いに身を寄せあい、堪え忍び立っていた。

 そうした馬が、自分の近くに寄ってきてくれた。

 その馬の目は、「どうしたんだ。元気無いぞ。」と自分を慰めてくれるごとくであった。

 風雨の中でじっと耐えて、生きている宮古馬の苛酷さから見れば、今の自分の悲しさなど小さいものだと悟り、生きる力を宮古馬からもらったという手紙であった。

 宮古馬は、日本の在来種の馬で、そのこころ旅の手紙では、世界中で20数頭しかいない状態と言う。

 日本在来の馬は、宮崎の都井岬に放牧されている馬も在来種と記憶している。

 私の生まれ育った地域にも、私が小さい頃には「木曽馬」がいた。在来種の馬である。

 背の低い馬であった。

 農耕とか、木材の搬出などに使われていた。

 今はもう居ない。

 今年(2014年)の9月、御嶽山が爆発した。

 御岳山は、、岐阜県と長野県の県境にある。

 頂上を境にして、東側が長野県、西側が岐阜県にある。

 御岳山爆発映像でテレビに映し出される映像は、長野県側から見た御岳山の東側の姿である。

 その御嶽山の東の麓に旧開田村がある。

 現在は木曽町に合併されているが、その旧開田村に木曽馬が育てられていると聞く。

 木曽馬は、一時は30頭近くまで減り、絶滅が心配されたが、関係者の努力によって、現在は150頭近くまで増えたと聞く。
 
 人それぞれに、人生の転機になった時に目にした場所の風景が、記憶として焼き付いている。

 それは、他人から見れば何でもない普通のありふれた風景であっても、当人にとっては、その風景は、こころに残る特別の風景である。

 そのこころの風景を、火野正平が、自転車で道中苦労しながら訪ね、現在どうなっているかテレビカメラで写してくれる。

 映し出されるテレビカメラの映像は、アングルが良く、時が止まったごとく静かで美しい。

 火野正平の自転車の旅は、あたかも宮沢賢治の「雨にも負けず」の詩の出だしのごとく、「雨にも負けず、風にも負けず、雪にも夏の暑さにも負けぬ」であり、旅する方向は、こころの旅の手紙の主が述べるこころの風景を捜し求めて、「・・・・・東に・・・・西に・・・・南に・・・北に・・・」である。

 テレビに映し出される道中の映像も、最後の到着したこころの風景も、今迄テレビカメラが入ったことがない地域、場所がほとんどである。

 居間に居ながらにして、日本全国を旅しているごとくである。

 新しい新日本風土記の映像である。

 30年後、50年後にこの映像を見て、平成の23年、24年、25年、26年の我が故郷はこう言う状態であったのかと知る事ができる。

 貴重な映像となるであろう。末永く保管されることを強く望む。

 NHKは、こころ暖まる良いテレビ番組を作ってくれた。

 今回で終わることなく、続けられることを希望する。


  鑑定コラム1263)
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  鑑定コラム1053)「火野正平が唄う2つの歌」

  鑑定コラム820)「火野正平自転車のこころ旅」
  

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