NHK−BSプレミアムの番組である火野正平の自転車による日本縦断「こころ旅2014年 秋」編は、2014年12月19日(金)で終了した。
最後の旅は、沖縄の宮古島で育てられている「宮古馬」を訪ねるこころ旅であった。
南の沖縄とはいえ、冬の風のある雨の日は寒い。
正平と旅の一行は、寒かったのではなかろうか。
雨の中むかい風が強く、自転車はスイスイと進まない状態であった。
宮古馬はどこにいるのかと正平のぼやきが出る頃に、ひょこりとその馬に遭遇した。
こころ旅の手紙の主は、人生に疲れ夢破れ、風雨の日に、日本の南の果て近くの宮古島に来て、あてもなくさまよっていた。
さまよっていて、偶然、西平安名崎近くのスマヌーマ牧場の宮古馬に出会った。
馬たちは、今にも屋根が風で吹っ飛びそうな小屋の中で、強風に吹かれ、雨にびっしょり濡れながら互いに身を寄せあい、堪え忍び立っていた。
そうした馬が、自分の近くに寄ってきてくれた。
その馬の目は、「どうしたんだ。元気無いぞ。」と自分を慰めてくれるごとくであった。
風雨の中でじっと耐えて、生きている宮古馬の苛酷さから見れば、今の自分の悲しさなど小さいものだと悟り、生きる力を宮古馬からもらったという手紙であった。
宮古馬は、日本の在来種の馬で、そのこころ旅の手紙では、世界中で20数頭しかいない状態と言う。
日本在来の馬は、宮崎の都井岬に放牧されている馬も在来種と記憶している。
私の生まれ育った地域にも、私が小さい頃には「木曽馬」がいた。在来種の馬である。
背の低い馬であった。
農耕とか、木材の搬出などに使われていた。
今はもう居ない。
今年(2014年)の9月、御嶽山が爆発した。
御岳山は、、岐阜県と長野県の県境にある。
頂上を境にして、東側が長野県、西側が岐阜県にある。
御岳山爆発映像でテレビに映し出される映像は、長野県側から見た御岳山の東側の姿である。
その御嶽山の東の麓に旧開田村がある。
現在は木曽町に合併されているが、その旧開田村に木曽馬が育てられていると聞く。
木曽馬は、一時は30頭近くまで減り、絶滅が心配されたが、関係者の努力によって、現在は150頭近くまで増えたと聞く。
人それぞれに、人生の転機になった時に目にした場所の風景が、記憶として焼き付いている。
それは、他人から見れば何でもない普通のありふれた風景であっても、当人にとっては、その風景は、こころに残る特別の風景である。
そのこころの風景を、火野正平が、自転車で道中苦労しながら訪ね、現在どうなっているかテレビカメラで写してくれる。
映し出されるテレビカメラの映像は、アングルが良く、時が止まったごとく静かで美しい。
火野正平の自転車の旅は、あたかも宮沢賢治の「雨にも負けず」の詩の出だしのごとく、「雨にも負けず、風にも負けず、雪にも夏の暑さにも負けぬ」であり、旅する方向は、こころの旅の手紙の主が述べるこころの風景を捜し求めて、「・・・・・東に・・・・西に・・・・南に・・・北に・・・」である。
テレビに映し出される道中の映像も、最後の到着したこころの風景も、今迄テレビカメラが入ったことがない地域、場所がほとんどである。
居間に居ながらにして、日本全国を旅しているごとくである。
新しい新日本風土記の映像である。
30年後、50年後にこの映像を見て、平成の23年、24年、25年、26年の我が故郷はこう言う状態であったのかと知る事ができる。
貴重な映像となるであろう。末永く保管されることを強く望む。
NHKは、こころ暖まる良いテレビ番組を作ってくれた。
今回で終わることなく、続けられることを希望する。
鑑定コラム1263)「2度目の鳥取県を火野正平5連者は行く」
鑑定コラム1053)「火野正平が唄う2つの歌」
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