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1306)だれかとおもったら、藤枝梅安だった

 時代・歴史小説家池波正太郎の随筆『木曽路小旅行』(池波正太郎自選随筆集 上巻 朝日新聞社 1988年1月15日 P154)というのがある。

 我が故郷に近い町が描かれている。

 「小説現代」の昭和56年(1981年)9月号に掲載された随筆である。

 題名の通り木曽路の旅行記である。

 31行の短い随筆である。

 1行42字として、

      42字×31行=1,302字

1,302字であるが、全ての行に42字が詰まっている訳ではないことから、実際の字数はもっと少ない。

 31行の短い随筆であるが、味のある内容である。

 「つい先ごろ、信州の松本から、木曽路を中津川へぬけてみた。」

の書き出しで随筆は、はじまる。

 2泊3日の小旅行である。

 1日目は、松本に泊まる。

 2日目は、木曽福島の蕎麦屋『くるまや』の「すんきそば」を食べ、木曽谷を南下する。

 すんきは、赤かぶの葉と茎の漬け物である。木曽谷の人々が食べている漬け物である。

 夜は妻籠の「生駒屋」に泊まる。

 「木曽の宿場の夜の闇に、夢のような灯りが格子窓の奥から洩れてくる。
 生駒屋の二階座敷の手すりにもたれ、宿場の道を眺めながら」

と池波は綴る。

 「宿場の夜の闇に、夢のような灯りが格子窓の奥から洩れてくる」という描写が、また良い。

 「灯りが洩れてくる」だけでのことを述べるのに、「夢のような」とか「格子窓の奥から」を付け加えると、闇の夜の状景の奥行と巾がぐっと出て来る。これがプロの文章というものか。

 街道を眺める状景は、時代劇の「旅籠」の2階に泊まった人が、障子を開けて、宿場の町並を眺め、一日の旅を思い出すとか、あるいは待ち人の到着を待つシーンそのものである。

 随筆は綴る。

 「私は、ふと、街道の向うから妻籠へ入って来る提灯を見た。
 その提灯の人が生駒屋へ入り、草鞋をぬいだ。
 だれかとおもったら、藤枝梅安だった。」

 と随筆はおわる。

 俳優小林桂樹が演じる鍼医者藤枝梅安は、仕掛け人という裏稼業で、田村高廣演じる相棒彦次郎と江戸から遠く離れた妻籠の旅籠で落ち合うために、中仙道を避け、伊那飯田から清内路峠を越えて、樹々深い木曽蘭(あららぎ)に入った。

 日はとっぷりと暮れ、夜のとばりがおりていた。

 木曽は、夏とは云え、日が暮れると、汗ばんだ肌に急に冷たさが伝わってくる。

 梅安は、峠越えで疲れた脚を早めた。

 暗闇の中に、木曽谷の坂道にある宿場の妻籠の灯りが見えてきた。

 梅安は、人目を避けるごとく、ひっそりと宿場に入った。

 彦次郎は、生駒屋の2階座敷手すりから、遠く暗闇の中に、宿場街道を、一人の男が近づいてくるのを見つけた。

 歩き方に見覚えがあった。

 男は、旅籠の前に立ち止まった。

 周りを確かめながら、顔を少し上に向けた。

 彦次郎と目があった。

 仕掛人梅安の時代劇の1シーンを想像してしまう。


  鑑定コラム776)
「東京ドームの大スクリーンに「長野県清内路小学校」の文字」


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