事務所から徒歩5分程度にある皇居千鳥ヶ淵の桜は、満開である。
英国大使館の前の半蔵濠の桜も満開である。
千鳥ヶ淵は禁止されているが、英国大使館前の半蔵濠の桜の木の下での宴会は許されているのか、ブルーシートを広げて、車座になって花見の酒盛りが始まっている。
英国大使館内の満開の桜も垣根越しに見られる。
日本人は桜が好きだ。
私も好きである。
今年(2015年)3月25日のNHKのテレビ番組『歴史秘話ヒストリア』で、「桜の木に恋してー日本人と桜ー」と言う番組があった。
案内役は、渡邉あゆみアナウンサーであった。
日本書紀に既に桜のことが書かれているという。
桜の花を愛でることが広まったのは、平安時代の貴族からであるという。
豊臣秀吉の醍醐寺の花見は、有名過ぎるほど有名である。
明治維新になり、大名屋敷が小規模画地になるにつれて、桜が切り倒され、東京から桜が無くなろうとしていた。
それを憂いた植木職人の高木孫右衛門が桜の樹種の保存に努めた。
明治18年に荒川の堤防の改修が行われた。
その改修後の堤防に桜の木を植えようと、清水謙吉が考え、高木孫右衛門に協力を求めた。
高木は、それまでに集め保存育成していた桜の苗木78種3225本を提供し、堤に植えた。
荒川土手の桜は咲き誇り名所になったが、度重なる河川改修により、その桜も伐採され、その後絶滅してしまった。
荒川土手の桜植えに若い時に参加していた船津静作は、品種の絶滅を心配し、桜の育成と保存を自費で行っていた。
船津静作に育てられた桜が、日米親善として、アメリカワシントンのポトマック河畔に送られた。
ポトマック河畔に送られた桜は、根付き、開花して見事な花をアメリカ人に知らせることになった。
そこは、アメリカの桜の名所になった。
1981年、そのポトマック河畔の桜の子孫が、絶滅した桜の荒川土手がある足立区に送られ、船津静作が苦労して保存してくれた桜を、再び見ることができるようになった。
現代の桜を語る時には、高木孫右衛門、清水謙吉、船津静作の3人の名前を忘れることが出来ない。
この3人の高い知見と犠牲的な働きに依って、東京の桜は存在していると言っても過言では無い。
NHKの桜の放映内容とほとんど同じ内容のことが、ネットのブログ『モバイラー中ちゃんの気まぐれ桜旅』の中の「さくら雑学1 <日本人とさくら>」に述べられている。
アドレスは、
http://www.sakuratabi.tv/data/sakura1.htm
である。
上記私が記した内容も、NHKの放送内容と上記ブログに依るものである。
2015年4月3日、住友林業株式会社(市川晃社長)は、同社のホームページに「世界で初めてソメイヨシノの組織培養による苗木増殖に成功」のニュースをプレスリリースした。
茨城県土浦市立真鍋小学校の校庭にある樹齢108年のソメイヨシノの組織培養による苗木増殖に成功したという。
組織培養というものがどういうものか、私には具体的には分からないが、芽の組織を培養し、そこから幼苗を作り、苗木に育てるということのようである。
遺伝子の正統な継承が行われるようである。
住友林業は、京都仁和寺にある御室桜の組織培養による増殖にも成功し、増殖した桜が開花しているという。
鑑定コラム979)「オムロン社名の由来は京都の御室」
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