オムロン製品のひとつに、自宅で計ることの出来る血圧測定器があるが、私はそれを購入し使っている。
それ故、オムロンには愛着がある。
2012年11月末までの日本経済新聞の『私の履歴書』は、オムロン社長の立石義雄氏の履歴執筆であった。
『私の履歴書』の中で、立石義雄社長が、それまでの社名であった立石電機から、新しい社名「オムロン」に変更したいきさつを述べている。
京都御室に立石電機の工場があり、そこから数々の製品を作り出していたことから、その工場のある地名をとり、少し工夫をし「オムロン」と付けたと述べている。
旧立石電機の新会社名が、京都の御室と云う地名から付けられたと云うことを、私は初めて知った。
そして、オムロンの社名が京都の御室に起源していると知り、御室という地名を聞いた時、私はとっさに寮歌を思い出した。
毎月一回4の日に、銀座7丁目のライオン銀座7丁目店で「北の都会」が開かれている。
旧制第四高等学校卒業生とその後身の金沢大学卒業生が集い、懇親を深めている会である。
その会の始まりは、「北の都に秋たけて」の寮歌が歌われ、最後の締めは「南下軍」が歌われて会は終了する。いずれも第四高等学校の寮歌である。
その「南下軍」という寮歌は大正14年に作られた。
高橋武済作詞・梁瀬成一作曲である。
四生が、三(現在の京都大学)に剣道、柔道、ボート等の対抗戦のために京都に行く(金沢より南下する)時に歌われた歌である。
その3番目の歌詞に、次のものがある。
花は御室(おむろ)か嵐山 人三春(さんしゅん)の行楽(こうらく)に 現(うつつ)もあらで迷うとき 西洛陽(らくよう)の薄霞(うすがすみ) 霞にまがう砂煙 蹴立(けた)てて進む南下軍
1.ただに血を盛る瓶(かめ)ならば 五尺(ごせき)の男児要なきも 高打つ心臓(むね)の陣太鼓(じんだいこ) 霊(たま)の響(ひびき)を伝えつつ 不滅の真理戦闘に 進めと鳴るを如何にせん
2.嵐狂えば雪降れば いよいよ燃えたつ意気の火に 血は逆(さか)まきて溢(あふ)れきて 陣鼓(じんこ)響きて北海の 「健児脾肉(ひにく)を嘆(たん)ぜしが」 遂に南下の時到る
3.花は御室(おむろ)か嵐山 人三春(さんしゅん)の行楽(こうらく)に 現(うつつ)もあらで迷うとき 西洛陽(らくよう)の薄霞(うすがすみ) 霞にまがう砂煙 蹴立(けた)てて進む南下軍
4.平和はいずれ偸安(とうあん)の 秒時(しばし)の夢に憧(あこが)るる 「痴人始めてよく説かん」 丈夫武夫(ますら たけお)は今日の春 花よりもなお華やかに 輝く戦功(いさお)立てんかな