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979)オムロン社名の由来は京都の御室

 オムロン製品のひとつに、自宅で計ることの出来る血圧測定器があるが、私はそれを購入し使っている。
 それ故、オムロンには愛着がある。

 2012年11月末までの日本経済新聞の『私の履歴書』は、オムロン社長の立石義雄氏の履歴執筆であった。

 『私の履歴書』の中で、立石義雄社長が、それまでの社名であった立石電機から、新しい社名「オムロン」に変更したいきさつを述べている。

 京都御室に立石電機の工場があり、そこから数々の製品を作り出していたことから、その工場のある地名をとり、少し工夫をし「オムロン」と付けたと述べている。

 旧立石電機の新会社名が、京都の御室と云う地名から付けられたと云うことを、私は初めて知った。

 そして、オムロンの社名が京都の御室に起源していると知り、御室という地名を聞いた時、私はとっさに寮歌を思い出した。

 毎月一回4の日に、銀座7丁目のライオン銀座7丁目店で「北の都会」が開かれている。

 旧制第四高等学校卒業生とその後身の金沢大学卒業生が集い、懇親を深めている会である。

 その会の始まりは、「北の都に秋たけて」の寮歌が歌われ、最後の締めは「南下軍」が歌われて会は終了する。いずれも第四高等学校の寮歌である。

 その「南下軍」という寮歌は大正14年に作られた。
 高橋武済作詞・梁瀬成一作曲である。

 四生が、三(現在の京都大学)に剣道、柔道、ボート等の対抗戦のために京都に行く(金沢より南下する)時に歌われた歌である。

 その3番目の歌詞に、次のものがある。

     花は御室(おむろ)か嵐山
     人三春(さんしゅん)の行楽(こうらく)に
     現(うつつ)もあらで迷うとき
     西洛陽(らくよう)の薄霞(うすがすみ)
     霞にまがう砂煙
     蹴立(けた)てて進む南下軍

 上記寮歌の3番目で「花は御室か嵐山」と「御室」の地名が出て来る。
 花とは桜のことであろう。
 御室は桜の名所ということのようである。

 私は京都の地名は知らないが、「御室」は仁和寺のある辺りを云うのであろうか。

 四寮歌「南下軍」は、約90年間歌い継がれている。
 下記に全歌詞を記す。
 毎月、アイン・ツバイ・ドライのかけ声とともに、飲み放題のサッポロビールの酔いの中で歌っている歌である。

 
   1.ただに血を盛る瓶(かめ)ならば
     五尺(ごせき)の男児要なきも
     高打つ心臓(むね)の陣太鼓(じんだいこ)
     霊(たま)の響(ひびき)を伝えつつ
     不滅の真理戦闘に
     進めと鳴るを如何にせん

   2.嵐狂えば雪降れば      いよいよ燃えたつ意気の火に      血は逆(さか)まきて溢(あふ)れきて      陣鼓(じんこ)響きて北海の      「健児脾肉(ひにく)を嘆(たん)ぜしが」      遂に南下の時到る
   3.花は御室(おむろ)か嵐山      人三春(さんしゅん)の行楽(こうらく)に      現(うつつ)もあらで迷うとき      西洛陽(らくよう)の薄霞(うすがすみ)      霞にまがう砂煙      蹴立(けた)てて進む南下軍
   4.平和はいずれ偸安(とうあん)の      秒時(しばし)の夢に憧(あこが)るる      「痴人始めてよく説かん」      丈夫武夫(ますら たけお)は今日の春      花よりもなお華やかに      輝く戦功(いさお)立てんかな


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