○鑑定コラム


フレーム表示されていない場合はこちらへ トップページ

田原都市鑑定の最新の鑑定コラムへはトップページへ

前のページへ
次のページへ
鑑定コラム全目次へ

1421)大村、梶田氏のノーベル賞授賞を祝す

 鑑定依頼者の弁護士から、「2015年12月14日月曜日の午前10時までに東京地裁に賃料鑑定書を提出しなければならないことから、田原さん、今度は提出来る様に頼みますょ。」と云われていた。

 月曜日の午前10時迄に地裁提出とすれば、前の週の金曜日である12月11日の夕方までに、弁護士事務所に鑑定書を届けて置かなければならない。

 その賃料鑑定は、鑑定書の提出が既に遅れたため、公判日を1ヶ月半ほど先に延期してもらっていた。

 公判日を一回延期してもらっていたこともあり、再先送りすることは許されないことである。

 前夜遅く迄かかってワープロ原稿が打ち終わり、読み直し訂正、計算間違いの検討を行った。

 提出の当日は、朝早くから添付資料作りをし、何とか80頁に及ぶ鑑定書の製本にこぎ着けた。

 夕方遅く正1部、副2部の賃料の鑑定書を持って、弁護士事務所を訪れた。

 待っていた弁護士に鑑定書提出が遅れたことを詫びた。

 小一時間かけて鑑定書の内容を説明し、弁護士に鑑定書をどうにか手渡すことが出来た。

 提出が出来なくて公判日を一回遅らせてしまった賃料鑑定書を、最後の約束日までに、ギリギリ提出することが出来た安堵感から、銀座まで出て来たこともあり、冬のビヤホールに入って一杯ということにした。

 一人で酒を飲むのも面白く無い。

 鑑定書の製本の目途が付いた頃、50歳くらいの知り合いの不動産鑑定士に「夕方少し遅く銀座まで行くが、時間があるか。」と電話したところ、時間があるというのでビヤホールで落ち合う約束をしていた。

 落ち合うビヤホールは、銀座7丁目の銀座中央通りにある。

 鑑定書を提出後、暗くなった銀座の中央通りを歩く。

 歩道には中国人の団体が、そぞろ歩きをしている。

 昼間と変わらず、夜にも中国人の観光客が多い。

 旧松坂屋の跡地は、現在地下部分を建築中であった。

 その向かい側にある12階建程度のガラスのカーテンウオールの真新しいビルがまぶしい。

 銀座中央通り側の各階のファサードは、フットライトに照らされて1階を除く全ての階に、等身大のマネキン人形が置かれている。

 そのマネキン人形は、東側を走る銀座中央通りに向かっていなく、南の方向に向いている。つまり横を向いて陳列してある。

 この横向き陳列のデザインが良い。

 このビルに向かって、多くの人々がカメラを向けている。
 
 携帯電話が鳴る。

 ビヤホールで酒を飲むことを約束した不動産鑑定士から、人数が二人増えるがそれでも良いかの了解を求める電話であった。

 OKの返事をした。

 ビヤホールの扉を押した。

 騒音と熱気が、体にぶっかってきた。

 冬の寒い時に、冷たいビールを飲む人はそういなく、席は充分あるであろうと思っていた。

 その予想は外れた。

 開業81年の長い歴史を持つ高い天井のビヤホールの広いフロアは、ビールを飲む人で埋め尽くされていた。

 女性だけが囲むテーブルもあちこちに見られた。

 西洋人達がビールを飲みながら談笑している姿もあった。

 案内係のボーイが、かろうじて残っている席に案内してくれた。

 生ビールの中ジョッキーをボーイに注文した。

 仕事を終えた後の喉ごしを通る冷えたビールの味は、苦みを通り越して、甘さを感じる快いものであった。

 時間がそれぞれずれるが、ビヤホールに次々と知り合いが入ってくる。

 着席する度に、新しいジョッキーで「乾杯!」である。

 いささか飲み過ぎた。

 この日、二人の日本人がノーベル賞を授賞した。

 生理学・医学賞の大村智・北里大学特別栄誉教授、物理学賞の梶田隆章・東京大学宇宙線研究所所長の二人である。

 二人の功績については、新聞、テレビ、ネットで詳しく紹介されていることから省略する。

 私が嬉しいのは、二人とも地方大学の出身者であることである。

 大村智氏は山梨大学、梶田隆章氏は埼玉大学卒業である。

 このことが、私をより一層嬉しくさせてくれる。
 
 帰宅は終電車には少し間があったが、午前様にあいなった。銀座から自宅までは遠かった。


  鑑定コラム473)
「2008年ノーベル賞日本人4人受賞」


フレーム表示されていない場合はこちらへ トップページ

前のページへ
次のページへ
鑑定コラム全目次へ