○鑑定コラム
フレーム表示されていない場合はこちらへ
トップページ
田原都市鑑定の最新の鑑定コラムへはトップページへ
前のページへ
次のページへ
鑑定コラム全目次へ
今から約11年前、2006年(平成18年)の年の最初の鑑定コラムに、ある書物からの引用を掲載した。その引用部分は、下記である。
****
「高速道路は、日本橋川の上を走る。
東京オリンピックを契機に、東京の都市改造が行われた。都内の中心部と空港を結ぶ自動車専用道路の築造も、その一つであった。
川面の上は自動車道路に奪われてしまった。
川面に日の光は届かない。
川の水はよどみ、黒い。
水面にあぶくが出ている。
川が息しているようだ。あえいでいるようだ。泣いているようだ。涙のようだ。
川底に沈殿し、堆積した汚泥が、ガスを発しているのだ。
日本橋の上を橋が走る。高速自動車が走る。
空は見えない。
橋よりみる高速道路の下側は、大蛇の腹だ。灰色がかったコンクリートの桁は、獲物を飲み込んだ蛇の下腹だ。
「お江戸日本橋」と歌われ親しまれてきた橋は、川にかかり、人々を通すだけが役目の橋ではない。江戸の内と外の懸け橋であり、江戸という商業都市、文化都市の象徴でもあったのだ。それは江戸が東京という名になっても受け継がれてきた。
その橋が日の当たらない暗い場所に置かれてしまった。明るく青空のもと太陽がさんさんと照りつける中に、日本橋はあって欲しい。空から見たら、ビルの谷間にあって、ぽっかりと空間が空いている。そこが日本橋というように。
ブナ林を守るという自然環境の保護を訴えることも大切である。しかし、歴史を大切にすること、その一つの日本橋の環境を守ることも、重要では無かろうか。
一体、誰が日本橋の上を高速自動車道路が走るという路線決定をしてしまったのか。
道路元標を示す金属塔のわずかな先端を高速道路端に示し、日本橋は、自分の存在を懸命に誇示している。」( 『潮への回帰』1996年発行より)
****
執筆者は誰かは書かない方が良い。
2017年7月21日の東京都のホームページのトップページは、「本日の報道発表」として10本の記事がプレスリリースされていた。
そのヘッドラインは、下記である。
「計画・財政 「人が生きる、人が輝く東京へ 重点政策方針2017」策定
計画・財政 平成30年度東京都予算の見積方針のポイント
お知らせ 「島しょ地域における電気自動車普及モデル事業」を実施
お知らせ 東京2020大会ガイドブックを作成
お知らせ 日本橋周辺のまちづくりと連携して首都高の地下化に取組
お知らせ 九州北部豪雨災害に対する義援金を募集
計画・財政 平成28年度一般会計決算(見込み)について
計画・財政 平成28年度 都税収入決算見込額について
募集 平成29年8月都営住宅 入居者の募集概要
イベント 無料特別相談 「多重債務110番」を実施」
私は5番目の「日本橋周辺のまちづくりと連携して首都高の地下化に取組」のヘッドラインに目が止まった。
どういう内容であろうかと興味を持ち、そのヘッドラインをクリックした。
クリックすると、次の記事が、パソコンのモニターに映し出された。転記する。この引用転載は、著作権侵害にはならないであろう。
****
「報道発表資料 2017年07月21日 都市整備局
首都高速道路(以下、「首都高」という)は、我が国の経済活動を支える重要な基盤施設として高度経済成長期以来これまで大きな役割を担ってきましたが、建設から長い年月が経ち老朽化が進んでいます。一方、整備に急を要したことから、日本橋周辺では首都高が川の上空を通過しており、周辺景観に与える影響について様々な議論がされてきました。
このような状況の中、平成26年にこの区間も含めた首都高の大規模更新計画が策定されるとともに、平成28年には日本橋周辺で検討が進むまちづくりの取り組みが、国家戦略特区の都市再生プロジェクトに追加されました。
この機会を捉え、民間の発意によるまちづくりの展開と連携して首都高を地下化することにより、国際金融都市にふさわしい品格のある都市景観の形成、歴史や文化を踏まえた日本橋の顔づくり、沿道環境の改善など様々な効果が期待されます。
また、中央区から、国・都に対し、首都高の地下化への申し入れがされるなど、地元の機運も高まっています。
これらのことから、国、東京都、首都高速道路(株)は共同で、日本橋周辺のまちづくりと連携して首都高の地下化に向けて取り組んでいくこととし、今後、関係者で計画案(線形や構造、対象区間など)について検討していきます。」
http://www.metro.tokyo.jp/tosei/hodohappyo/press/2017/07/21/05.html
(注)クリックして「このコンテンツはフレーム内で表示できません」の文言が表示された場合、その同一画面の下に表示される「対処方法」の「このコンテンツを新しいウィンドウで開く」をクリックして下さい。コメントの画面が現れます。
****
東京都都市整備局が、日本橋の上を走っている首都高速道路を、地下に走らせ、日本橋の上の首都高を取壊し、日本橋の上に青空を取り戻す事業を行うと発表したのである。
日本橋の上を走る首都高速は、53年前の1964年(昭和39年)の東京オリンピックの時に作られたものである。
羽田空港から、オリンピックの開催される千駄ヶ谷の国立陸上競技場までの道路事情が悪すぎることから、時間短縮と交通の便を良くするために作られたものである。
用地買収の時間と手間を省くために、日本橋川の上に高速道路を走らせると云う、無茶苦茶な考えで首都高速を造った。
首都高速を川の上に造ると同時に青山通りの大幅拡張を強制的に行った。
現在の青山通りは、この拡幅工事によって出来上がった。
これら工事の陣頭指揮した人は、河野一郎建設大臣である。
彼が居なかったら、これら事業はできなかったであろう。
上記東京都都市整備局の引用文の中で、一つ気にかかる文言がある。
「首都高を地下化することにより、国際金融都市にふさわしい品格のある都市景観」と東京都都市整備局は云う。
東京都は、東京を「国際金融都市」にするつもりのようである。
「国際金融都市」の用語が私には気にかかる。
鑑定コラム255)「日本橋の上は大蛇の腹」
▲
フレーム表示されていない場合はこちらへ
トップページ
前のページへ
次のページへ
鑑定コラム全目次へ