2006年最初の鑑定コラムです。少し趣が違います。
「・・・・・・
高速道路は、日本橋川の上を走る。
東京オリンピックを契機に、東京の都市改造が行われた。都内の中心部と空港を結ぶ自動車専用道路の築造も、その一つであった。
川面の上は自動車道路に奪われてしまった。
川面に日の光は届かない。
川の水はよどみ、黒い。
水面にあぶくが出ている。
川が息しているようだ。あえいでいるようだ。泣いているようだ。涙のようだ。
川底に沈殿し、堆積した汚泥が、ガスを発しているのだ。
日本橋の上を橋が走る。高速自動車が走る。
空は見えない。
橋よりみる高速道路の下側は、大蛇の腹だ。灰色がかったコンクリートの桁は、獲物を飲み込んだ蛇の下腹だ。
「お江戸日本橋」と歌われ親しまれてきた橋は、川にかかり、人々を通すだけが役目の橋ではない。江戸の内と外の懸け橋であり、江戸という商業都市、文化都市の象徴でもあったのだ。それは江戸が東京という名になっても受け継がれてきた。
その橋が日の当たらない暗い場所に置かれてしまった。明るく青空のもと太陽がさんさんと照りつける中に、日本橋はあって欲しい。空から見たら、ビルの谷間にあって、ぽっかりと空間が空いている。そこが日本橋というように。
ブナ林を守るという自然環境の保護を訴えることも大切である。しかし、歴史を大切にすること、その一つの日本橋の環境を守ることも、重要では無かろうか。
一体、誰が日本橋の上を高速自動車道路が走るという路線決定をしてしまったのか。
道路元標を示す金属塔のわずかな先端を高速道路端に示し、日本橋は、自分の存在を懸命に誇示している。
・・・・・・・・」 (『潮への回帰』1996年発行より)
2005年11月21日の日本経済新聞夕刊のコラムに、著名な経済学者であり、UFJ総合研究所理事長の中谷巌氏が、『「高速道路」を何とかしよう』というコラムを書いている。
氏はいう。
美しいヨーロッパの都市には、高速道路がわが物顔に街を切断して走るという日本的光景はない。それは自治意識の強い住民たちが、自分の街の文化や風情を破壊する「横暴な高速道路」を容認してこなかったためだからと。
氏は日本橋の上を走る高速道路は地中に埋めて欲しい。日本橋の「粋」を取り戻し、日本の伝統的な「都市美」を望むという。
私などが「日本橋に青空を」と叫んでみても、誰も一顧だにしてくれない。
著名な人の発言を今回はお借りして、「日本橋に青空を」という私の持つ前からの考えを述べた。
鑑定コラム1151)「首都高速道路高架建替工事費1km当り475億円」
鑑定コラム1669)「日本橋に青空をが実現しそうだ」