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2178)NHKの朝のテレビ小説「エール」は終わった

 NHKの朝のテレビ小説「エール」が、2020年11月26日(木)に終わった。

 最後は癌でベッドに横たわる主人公の妻が「海を見たい」とつぶやき、若き日に海辺ではしゃぐ主人公と妻の二人の映像で終わる。

 「エール」は、作曲家古関裕而氏とその妻との生涯を描いた音楽ドラマであった。

 古関裕而氏の役を古山裕一の名前で窪田正孝が演じ、妻は音の名前で二階堂ふみが演じた。

 途中、新型コロナウイルスの流行によって撮影が進まず、2ヶ月半程度の休みがあったが、どうにか終わった。最後の方はかなりのドタバタのドラマの進み方であった。

 もっと詳しく作曲の苦労、いきさつや裏話的な内容のものであったらと思いながら、ほぼ全編を見た。

 楽器を全く使わずに作曲するという映像を最初見て、私は驚いた。

 作曲はピアノ等の楽器を使って、苦労しながら作るものとばかり思い込んでいたことから、全く楽器を使わず、五線楽譜帳に音符を次々と書き込んで曲を作りあげる姿を知ってびっくりした。

 それは歌詞から情景を頭の中に描き上げ、その情景から音曲が頭の中に出来あがり、その音曲を音符という記号で、表象して行くのであろう。

 音符についた歌詞を歌い上げると、素晴らしい歌になる。

 音曲など全く頭に浮かんだことの無い私には、それは全く魔術のごとくに思える。
 
 ドラマを盛り上げた福島三羽烏と呼ばれる人がいた。

 作曲家古関裕而氏は福島市の出身で、同郷に作詞家の野村俊夫氏がいたという。

 私が好きな歌で野村俊夫氏が作詞した歌は、ネットのウイキペディアの曲一覧(以下同じ)から選択すると、

   1948年「湯の町エレジー」(作曲:古賀政男、歌:近江俊郎)
   1956年「どうせ拾った恋だもの」(作曲:船村徹、歌:コロムビア・ローズ)
   1957年「東京だョおっ母さん」(作曲:船村徹、歌:島倉千代子)
である。

 「湯の町エレジー」、「どうせ拾った恋だもの」、「東京だョおっ母さん」の作詞者とは知らなかった。

 テレビ小説では、苗字の野村をひっくり返して村野とし、村野鉄男という名前で中村蒼が演じていた。

 そしてもう一人、福島県本宮市出身の歌手の伊藤久男氏である。

 歌手の伊藤久男氏が福島出身で、古関裕而氏との交遊が深い事も知らなかった。
 
 私が好きな歌で伊藤久男氏が歌った歌は、
   1949年「イヨマンテの夜」(作詞:菊田一夫、作曲:古関裕而)
   1951年「あざみの歌」(作詞:横井弘、作曲:八洲秀章)
   1952年「山のけむり」(作詞:大倉芳郎、作曲:八洲秀章)
である。

 テレビド小説では、伊藤久男の「藤」と「久」を使い、佐藤久志という名前で山崎育三郎が演じていた。

 伊藤久男氏の唄う歌で最も好きな歌は、「イヨマンテの夜」である。

 「イヨマンテの夜」が作られたのは1949年と云うから昭和24年である。

 その歌は、ラジオから常に流れていた。伊藤久男氏が歌曲風に雄々しく歌い上げる歌は、小学生であった私の頭に強烈に残された。

 NHKの日曜日の昼ののど自慢で歌われる曲は、「イヨマンテの夜」ばかりである。

 歌にも唄われる熊祭り(イヨマンテ)とは一体どう云う祭りであろうか。それへの興味が湧き、是非みたいという思いはずっと心に残っていた。

 不動産鑑定業を開業して時間が余りあった夏、網走市が毎年7月の第4土曜日の夜に観光用に熊祭りを行っていると知り、それ見たさに東京から車を駆って網走まで出かけた。

 モヨロ族のシャーマンの神事と、たき火を中心にして輪になって踊るモヨロ族の末裔の人々のイヨマンテの夜の祭りを充分堪能した。

 作曲者が誰であるか知らずに口ずさんでいた歌が古関裕而氏の作曲であったという歌も多くある。

 それら歌を含めて、私が口ずさみ好きな古関裕而氏の作曲した歌は次のものである。
  1931年「紺碧の空 〜早稲田大学応援歌〜」(作詞:住治男)
  1943年「若鷲の歌(予科練の歌)」(作詞:西條八十、歌:霧島昇、波平暁男)
    1947年「とんがり帽子」(作詞:菊田一夫、歌:川田正子、コロムビアゆりかご会)
    1948年「フランチェスカの鐘」(作詞:菊田一夫、歌:二葉あき子)
    1949年「長崎の鐘」(作詞:サトウハチロー、歌:藤山一郎)
    1949年「イヨマンテの夜」(作詞:菊田一夫、歌:伊藤久男、コロムビア合唱団)
    1952年「黒百合の歌」(作詞:菊田一夫、歌:織井茂子)
    1954年「高原列車は行く」(作詞:丘灯至夫、歌:岡本敦郎)
 「長崎の鐘」の歌を聞くと涙腺がゆるんでしまう。歌詞から永井博士の話が思い出され、原爆で廃墟になった長崎市街地の状況が浮かび上がり、亡くなられた多くの人々の悲哀さで心が潰されてしまう。

 妻の役を演じた女優二階堂ふみの演技の上手さには目を見張った。

 娘の相手がロカビリー歌手で、その歌を夫に聴かせようとレコードを夫の仕事場に持ってきたが、断られて仕方なく廊下を去るときに、ロックのリズムで体を斜め横にして腰を振りながらごく自然に廊下を去る姿に、演技力の確かさを見た。


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