NHKの朝のテレビ小説「エール」が、2020年11月26日(木)に終わった。
最後は癌でベッドに横たわる主人公の妻が「海を見たい」とつぶやき、若き日に海辺ではしゃぐ主人公と妻の二人の映像で終わる。
「エール」は、作曲家古関裕而氏とその妻との生涯を描いた音楽ドラマであった。
古関裕而氏の役を古山裕一の名前で窪田正孝が演じ、妻は音の名前で二階堂ふみが演じた。
途中、新型コロナウイルスの流行によって撮影が進まず、2ヶ月半程度の休みがあったが、どうにか終わった。最後の方はかなりのドタバタのドラマの進み方であった。
もっと詳しく作曲の苦労、いきさつや裏話的な内容のものであったらと思いながら、ほぼ全編を見た。
楽器を全く使わずに作曲するという映像を最初見て、私は驚いた。
作曲はピアノ等の楽器を使って、苦労しながら作るものとばかり思い込んでいたことから、全く楽器を使わず、五線楽譜帳に音符を次々と書き込んで曲を作りあげる姿を知ってびっくりした。
それは歌詞から情景を頭の中に描き上げ、その情景から音曲が頭の中に出来あがり、その音曲を音符という記号で、表象して行くのであろう。
音符についた歌詞を歌い上げると、素晴らしい歌になる。
音曲など全く頭に浮かんだことの無い私には、それは全く魔術のごとくに思える。
ドラマを盛り上げた福島三羽烏と呼ばれる人がいた。
作曲家古関裕而氏は福島市の出身で、同郷に作詞家の野村俊夫氏がいたという。
私が好きな歌で野村俊夫氏が作詞した歌は、ネットのウイキペディアの曲一覧(以下同じ)から選択すると、
1948年「湯の町エレジー」(作曲:古賀政男、歌:近江俊郎) 1956年「どうせ拾った恋だもの」(作曲:船村徹、歌:コロムビア・ローズ) 1957年「東京だョおっ母さん」(作曲:船村徹、歌:島倉千代子)である。
1949年「イヨマンテの夜」(作詞:菊田一夫、作曲:古関裕而) 1951年「あざみの歌」(作詞:横井弘、作曲:八洲秀章) 1952年「山のけむり」(作詞:大倉芳郎、作曲:八洲秀章)である。
1931年「紺碧の空 〜早稲田大学応援歌〜」(作詞:住治男) 1943年「若鷲の歌(予科練の歌)」(作詞:西條八十、歌:霧島昇、波平暁男) 1947年「とんがり帽子」(作詞:菊田一夫、歌:川田正子、コロムビアゆりかご会) 1948年「フランチェスカの鐘」(作詞:菊田一夫、歌:二葉あき子) 1949年「長崎の鐘」(作詞:サトウハチロー、歌:藤山一郎) 1949年「イヨマンテの夜」(作詞:菊田一夫、歌:伊藤久男、コロムビア合唱団) 1952年「黒百合の歌」(作詞:菊田一夫、歌:織井茂子) 1954年「高原列車は行く」(作詞:丘灯至夫、歌:岡本敦郎)「長崎の鐘」の歌を聞くと涙腺がゆるんでしまう。歌詞から永井博士の話が思い出され、原爆で廃墟になった長崎市街地の状況が浮かび上がり、亡くなられた多くの人々の悲哀さで心が潰されてしまう。