みね子は、つぶやく。
「お父さん 工場が倒産してしまいました。」
NHKの朝の連続テレビ小説「ひよっこ」が面白い。
主演の有村架純が、かわいい。
幼なじみの背の高い友に対して、
「でかい」
と云うと、その友は、
「でかいとは云わないで、スラリとしていると云って。」
と云うごとくの会話も楽しい。
昭和40年(1965年)4月、北茨城の田舎から高校を卒業して、集団就職で東京に出て来た。
東京の下町の向島にある小さなトランジスタラジオ製造工場で働く。
工場に隣接して建てられている乙女寮で、一部屋6人の若い女性の生活が始まる。
貴重な休日に、その頃封切りされたアメリカ映画のミュージカルの名作である『ウエストサイド物語』を見に行き、その刺激が強く、工場の食堂で激しくダンスの真似をし、「マリア・・・」と云って、役者になりきったつもりで演じる寮の女性達も良い。
ミュージカルダンスとはどういうものか、日本の若い人達に、強烈な印象を与えた『ウエストサイド物語』を見事に反映させている。
仕事にも、東京の生活にも慣れた就職して7ヶ月程度経ったころ、突然みね子の勤めている会社が工場閉鎖、つまり倒産してしまう。
4月に集団就職で、東京に出て来て、その年の暮れ近くに、就職会社が倒産してしまうとは、余りにも苛酷な人生経験である。
ここに、どうしたら良いのか自分でも分からなく、その悩みと悲しみを父に伝えたいみね子の嘆きのつぶやきが入る。
「お父さん 工場が倒産してしまいました。」
しかし、父は同じ東京に出稼ぎに出たが行方知れずの状態である。
このNHKの朝の連続テレビ小説「ひよっこ」で、主人公のみね子の会社が倒産するというストーリーを知って、昭和40年という年を急に思い出した。
昭和40年は、私は金沢の下宿でのんびりと学生生活を送っていた。大学4年であった。
就職を決める時であった。
その頃は、大学4年の7月か8月頃から、来春卒業の就職先の会社を何処にしょうかと考え、就職活動を行うという様な時代であった。
何故かその年は、景気は悪く、企業は学卒の採用を手控える様な、就職難の時であった。
前年の昭和39年に東京オリンピックが開かれ、それまでは景気が甚だよかった。オリンビックが終わると途端にオリンピック景気の大反動が日本経済を襲った。
昭和39年にサンウエーブが倒産した。日本特殊鋼が倒産した。
そして昭和40年に入った途端に山陽特殊製鋼が倒産した。
次いで昭和40年不況を象徴するごとくの事態が発生する。
4大証券の一つであった山一証券が経営に行き詰まり、日銀特融会社となる。
大学の就職掲示板には、企業からの「今年は学卒の採用中止」或いは採用数の激減を伝える張り紙が次々と掲示される。
上場企業の幾つかが倒産するということは、その何十倍、何百倍かの中小企業が倒産している事になる。上場の大会社の倒産は氷山の一角である。
日本経済は高度経済成長の過程にあったが、過度の東京オリンピック景気の反動の波を昭和40年はもろに受けた年であった。
大蔵省を筆頭に官僚になる人、裁判官の道に進む人、大学教授の道に進む人、政府系銀行、政府系公社 地方公共団体、商事会社、保険会社、銀行、新聞社、製造会社等と大学同期の友は、何とか就職した。
その頃のGNP(国民総生産 その頃はGDPとは云わなかった) は、30兆円台の前半だったと記憶している。約30兆円である。
東京の状況は知らないが、地方は、国道は舗装されていない。砂利道である。下水道はない。水道は井戸水である。電話は裕福な家庭にあるのみ。
鉄道は蒸気機関車である。
建物は殆どが木造2階建ばかりである。大学だって木造建物であった。RC造の建物はなくもないが、一般のマンション類のRC建物は極めて少ない。
GNP30兆円とは、そういう状態である。
みね子は、大変な時代に就職し、人生を歩むことになる。
東京は、再び3年後に東京オリンピックを開こうとして、浮かれている。
現在の国内総生産(GDP)は、約500兆円であるが、昭和40年の如くの構造不況を再び起こさない様に願う。
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