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2653) さらば昴よ 谷村新司氏74歳で亡くなる

 作詞家、作曲家そして歌手の谷村新司氏が、2023年10月8日、74歳で亡くなった。

 1978年に山口百恵の唄った「いい日旅立ち」、そして1980年谷村新司と掘内孝雄、矢澤透で結成されたアリスで唄った「昴」(作詞・作曲谷村新司)の曲が忘れられない曲である。

 ♪♪  目を閉じて何も見えず 哀しくて目を開ければ
        ・・・・・・・
    ・・・
    我は行く 青白き頬のままで
    我は行く さらば昴よ
    ・・・
    ・・・
     呼吸をすれば胸の中 凩はなき続ける
    ・・・
    ・・・
        ああ さんざめく名も無き星たちよ        
        せめて鮮やかにその身を終われよ
        ・・・・・・・
        ・・・
        ・・・
    我は行く 青白き頬のままで
    我は行く さらば昴よ
    我は行く さらば昴よ

 雄大さを感じさせる良い歌詞だ。曲も良い。

 若い青年が、自分の姿を昴の星になぞらえ、自分の夢を追い求め、道無き荒野を突き進む。その姿を、遙か彼方で青白く光り輝く昴の星よ見ていてくれという内容の歌詞である。

 私が、昴という星を初めて知ったのは、木曽山脈が終わる岐阜県東端の街にある校での古文の「枕草子」であったと記憶する。

 古文の「枕草子」の授業は、御茶ノ水女子大を出た少し歳行った叔母様と云って良い気品ある女性の先生の授業であった。確か青山と云う名前の先生ではなかったか。

 「枕草子」の初めての授業で、生徒の出席の名前を読み上げている時、「田原君、君は田原五子さんの弟さんか?」と問われた。

 私はびっくりした。まさか10歳ほど歳の離れている姉の名前が飛び出てくるとは思いもよらなかった。

 「はい、そうです。」

と返事したが、

 「こりゃ勉強しなければならないな。姉を知っていては。」

と感じたことを思い出す。

 この枕草子を読んだ時に、私は昴という星を知った。

 枕草子は、「嬉しきことは」等として、著者清少納言の思ったことが綴られている。

 そのものづくしのなかの「星は」の段に、次のごとく書かれている。

 「星は すばる。彦星。夕づつ。よばひ星、少しをかし。尾だになからばしかば、まいて。」(三巻本254段。能因本229段)

 星はの段で、最初に出て来る星が「すばる」である。漢字で書けば「昴」である。

 平安の昔にあって、昴の星は既に知られていた星であったようだ。冬の星座に出て来る青い小さな星の集団を、昴と云うようである。

  「たはむれに母を背負ひて 
   そのあまり軽きに泣きて
   三歩あゆまず」

 私の好きな石川啄木の「一握の砂」にある一首の一つである。

 石川啄木は、「一握の砂」の詩集の他に「悲しき玩具」という詩集がある。

 その「悲しき玩具」という詩集の最初の一首と2番目の一首に、下記短歌が書かれている。

 (「悲しき玩具」最初の一首)
 「呼吸(いき)すれば、
 胸の中(うち)にて鳴る音あり。
  凩(こがらし)よりさびしきその音

 (「悲しき玩具」2番目の一首)
 眼(め)閉(と)づれど、
 心にうかぶ何もなし。
 さびしくも、また、眼をあけるかな。」

 谷村新司氏は石川啄木ファンだったのか。

 昴曲の1題目の始まりの歌詞は、「目を閉じて何も見えず 哀しくて目を開ければ」である。

 啄木の「悲しき玩具」の2番目の短歌は、「眼(め)閉(と)づれど、心にうかぶ何もなし。さびしくも、また、眼をあけるかな。」である。

 そして昴曲の2題目は、「呼吸をすれば胸の中 凩はなき続ける」である。

 啄木の「悲しき玩具」の1番目の短歌は、「呼吸(いき)すれば、胸の中(うち)にて鳴る音あり。 凩(こがらし)よりさびしきその音」
 
 昴曲の歌詞は、啄木の「悲しき玩具」の2番目短歌を1題目に、「悲しき玩具」の1番目短歌を2題目の歌詞に取り入れている。

 谷村新司氏は、石川啄木ファンだったのでは無かろうかと思われる。

 谷村新司氏の詩曲で、私が好きなもう一つの曲は、山口百恵が唄った「いい日旅立ち」である。

 この曲については、鑑定コラム1998)「「いい日旅立ち」の流行った年に建てた建物が寿命を迎えた(耐用年数39.4年)」で記している。

 そのコラム内容を下記に転載する。

****


 歌は世につれ、世は歌につれてである。

 1979年に流行った歌は、山口百恵の歌った「いい日旅立ち」(作詞・作曲 谷村新司)である。

 JRの新幹線のプラットホームに立つと、今でも時々さわりのメロデイが流れる時がある。メロデイが流れると、つい口ずさんでしまう。

 ♪♪  雪解けま近の北の空に向かって
        ・・・・・・・
        ・・・
        ああ 日本のどこかに 私を待っている人がいる
        いい日 旅立ち 夕焼けを探しに 母の背中で聞いた・・・

 良いメロディである。良い歌詞である。

 谷村新司氏は、どうしてこの様な素晴らしいメロデイが頭に浮かび、歌詞を綴ることが出来るのであろうかと思ってしまう。その創造力に脱帽である。

****


 今は、東京から西の広島、博多の方に向かう新幹線の出発前の車掌の車内案内の説明する前に、「いい日旅立ち」のさわりのメロデイが、ほんの少し流れる。しかし、そのメロデイが流れる列車に乗り合わせるのも難しい。

 「母の背中で聞いた・・・」、一方啄木は、「母を背負ひてそのあまり・・」。

 谷村新司氏の死を悼む。 さらば昴よ。


  鑑定コラム1998)
「「いい日旅立ち」の流行った年に建てた建物が寿命を迎えた(耐用年数39.4年)」


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