電話が鳴った。
「不動産鑑定士の田原さんか?」
と電話の主は問う。
「そうです。」
と答えると、
「地先権という権利を知っているか。」
と問いかける。
「地先権・・・・・。川とか海に面する土地が、その土地の先にある川や海の公有水面を利用する権利を地先権というが、その権利のことですか。」
と答えると、
「そうした権利の価格評価を今迄にやったことがあるか。」
と電話の主は云う。
いきなり「評価をやったことがあるか」と問いかけるのも、随分と失礼な人であると思いながらも、
「川に面する木場の土地とか、ヨット係留の海に面する土地で評価したことはあります。」
と返事した。
電話の主は、
「やっと地先権の分かる不動産鑑定士に巡り会えた。
今迄あちこち電話しても、地先権という権利など知らないとか、そんな権利価格の評価をやったことが無いという不動産鑑定士ばかりであった。
これで不動産鑑定評価を頼むことが出来る。
地先権の付着する私の土地を評価していただけないか。」
と云う。
話を聞けば、銀行に融資を申し込んで地先権付の土地を担保提供したら、銀行の頼んだ不動産鑑定士が道路条件が悪く家の建たない土地であると云って、自分の買った土地価格より甚だ安い価格で鑑定評価した。
銀行に、
「そんなに安い価格の評価は無いであろう。地先権という権利を正当に評価しているのか。」
と聞いたところ、
「その様な権利は知らないし、鑑定評価書にもそのことは一言も触れていない。
対象地は川に接するが、対象地に行くには狭い小路を通ってゆかねばならない。その狭い小路は建築基準法上の道路ではないため、建物が建たない土地である。その為、土地価格は安い金額の価値しか無いと鑑定評価されている。
地先権とはどういうものか。それにそんなに価値があるのか。それを認めた不動産鑑定書をそちらから提出して欲しい。そうすれば銀行側も考える。」
と銀行員は説明したという。
そこで電話の主は、地先権の経済価値の分かる不動産鑑定士を探したと云う。
地先権とは、川とか海に面している土地の所有者が、その土地の地番先の川とか海の公有水面を利用出来る権利である。
川とか海に使用されている土地には地番が付されていない。その為、陸地の地番が付されている土地の地番を使用して、その陸地の地番先の川や海の公有水面の利用権を「地先権」と称している。
河川を利用して木材の運搬を行い、木材を川に面する製材所の横につけて、木材を陸揚げし製材加工していた昔の木場の土地には、河川に面している土地が絶対に必要であった。
河川に面していなければ、木材丸太の係留・引揚をすることが出来なかった。
旧木場の木材問屋、製材工場にとっては、河川に面する地先権が付着する土地を持っていなければ商売出来なかったのである。
私が不動産鑑定で「地先権」という権利に直面し、知ったのは、やはり旧木場の土地の評価の時であった。
首都高速道路が旧木場の町の一部を通過する計画があり、その土地買収に伴っての土地の評価であった。現在の箱崎のランプから湾岸線に抜ける首都高速道路建設に伴う土地買収の際の土地の鑑定評価であった。
旧木場の旦那衆と呼ばれる人々に「地先権」について話を聞いた。
その後、海に面する土地でヨット係留するために、どうしてもヨット係留出来る地先権を持つ海に面する土地が必要であり、その土地を購入する場合の土地の評価を行った。
伊勢湾の英虞湾に浮かぶ無人の小島の土地の中で、海に面している平坦な猫の額の様な土地があった。その土地の評価を行った。
無人の小島に行くにはモーターボートを利用してしか行けない。
所有者は漁師であった。
漁師の話によると、無人の小島の海に面する平坦な土地の価格は、漁師が住んでいる内陸の畑等の値段とあまり違いが無いと云う。住んでいるムラの住宅地の値段と同じくらいでも買う人はいると云う。
「何故か。」
と問えば、漁船が横付けでき、漁網を広げ、繕い、干す為に都合の良い土地であるからと云う。
電話の主から依頼された地先権が付着する土地は、屋形船を係留するためにどうしても地先権を持つ土地が必要であったために取得した土地であった。
東京湾の夏の風物詩の景色の一つである遊涼船・屋形船は、それぞれが河川に係留場所を持っている。
遊涼船・屋形船が大型船化するに伴い、係留場所確保の為に地先権を奪い合っている。
遊涼船・屋形船業者にとっては、地先権は営業行為に直結する程に重要な権利である。
地先権が無ければ、どこか別の河川利用出来る土地を探さねばならなくなり、都心の係留河川を離れなければならない事態にもなりうる。
こうした要因が付着する地先権を全く考えず、その知識も無く、通常の袋地の宅地と同じ考え方で価格評価することは、不動産鑑定士として恥ずかしいことでは無かろうか。
不動産鑑定士の存在は何かと本質を見つめ直せば、財産権を適正に価格評価することによって、財産権を守ることを使命とする職業家であろう。
屋形船を持つ地先権者がぼやいていた。
今迄無料の地先権であったが、東京都が河川改修として、それまでの河川岸壁を川の内側およそ1Mの所に新しく造った。旧岸壁を壊し陸地と新岸壁の間の約1Mを埋めて都有地にしてしまった。
地先権者は所有地と川との間にある都有地を通らねば、船を係留出来なくなってしまった。
都は今迄の船の係留を認めた。即ち地先権の存在を認めているのである。
しかし、その代わり、地先の幅約1Mの都有地を利用する土地使用料を徴収する様になったとぼやく。
東京都もなかなかやる。
数十隻の屋形船の地先権に伴う都有地使用料は、積もり積もれば馬鹿に出来無い金額である。
河川・海の土地にはもともと地番は無い。
河川の土地に地番が無いため、河川敷に建物を建てると、その建物の土地は「番外地」の土地ということになる。
相当以前、映画全盛の頃、高倉健主演の網走刑務所を脱獄したヤクザ任侠の世界を描いた映画があった。
それは「網走番外地」シリーズと呼ばれるシリーズものの映画であった。
「網走番外地」とつけられたのは、網走刑務所が網走川の旧河川敷に建てられていたため、番外地に建つ建物であったため、それを映画の題名に使用したものである。
「網走番外地」とそのネーミングの旨さに、映画人の感性の豊かさ、鋭さを感じる。もっとも実在の人が体験したことを書いた「網走番外地」という小説が原作と云う。
地方公共団体が、海である公有水面を埋め立てて造成し、建物を建て建物登記しょうとしたが、未だ土地の地番が未確定の場合がある。
地番確定まで建物登記を保留することも出来ず、といって所在地欄を空白にして建物登記をすることも出来ない。
土地地番を「地番先」という地番表示で建物の登記がされていたのを見た。
恐らくそれは上記の状態であったためでは無かろうかと推定する。
それは北九州市門司区の門司港の建物表示に実在していた。
現在は土地には勿論地番がつけられていた。
建物の所在地表示は「**地番先」の表示のままであった。
海の公有水面の埋め立てで問題になるのが、漁業補償の問題である。
埋め立てられる公有水面を漁場とする漁業組合に、漁業補償がなされる場合がある。
その根拠になるのが、地先権が存在しているという考え方によるものと思われる。
鑑定コラム774)「不動産鑑定士は地先権を知らないのか」
鑑定コラム300)「「海ほたる」の土地の所在地番は・・・・」