479)ノーベル化学賞の下村脩の息子は映画化のモデルになった米の超有名なハッカー
2008年のノーベル化学賞に、日本人の下村脩氏(米ボストン大名誉教授(80歳))が受賞した。
下村脩教授は、オワンクラゲから緑色蛍光タンパク質(GFP)を発見した功績が評価されてノーベル化学賞をもらうことになった。
GFPは現在の遺伝子工学、医学、生命バイオテクノロジーの研究には無くてはならないもので、広く使われている。
しかし、発見した当の下村脩教授は、
「GFPの蛍光を出す化学構造を解明した1979年で、私の化学者の仕事は終わった。その応用には全く興味は無かった。」
と甚だ愛想も無いことを言う。
ネットの世界での情報の伝達の速さは驚くべきもので、今回のノーベル化学賞を受賞した下村脩教授よりも、息子の下村努氏の名前の方がアメリカ人の多くは知っているというニュースが流れる。父親よりも息子の方が著名であると言う。
下村脩教授の息子の下村努氏は、アメリカのコンピュータセキュリティの専門科学者であり、その世界の第一人者と言われているようである。
私は知らなかったが、下村努氏は、アメリカ連邦警察FBIがどうしても捕まえることが出来なくて、悪質コンピューターハッカー(クラックカー)として数年に渡って追いかけていたケビン・ミトニック氏の居所を突き止めた著名なハッカーであるという。
1990年前半、「伝説のハッカー」と呼ばれるケビン・ミトニック氏が、下村努氏が勤務し管理しているカルフォルニア大学サンジェゴスーパーコンピーターセンターのコンピューターにクラックしてきた。
アメリカ政府も頼りにしている程の天才的能力と評価されていた下村努氏のプライドはいたく傷ついた。
その後、下村努氏と、電波発信場所の特定を避けて全米各地を移動して攻撃を仕掛けてくるミトニック氏との間で、激しい攻防戦が拡げられる。そしてついに下村氏がミトニック氏の居場所を突き止め、FBIに通報しミトニック氏は逮捕された。
この伝説のハッカー対天才ハッカーの攻防の様子が、1999年『ザ・ハッカー』(監督 ジョー・チャベル)という映画となったという。
私はその映画を見ていなかったので、そんな日本人がモデルになったアメリカ映画は、是非見なければと思った。
大手のDVD店のいくつかを回ってDVDを捜したが、全て貸出中であった。
何回かDVD店に通って、およそ1ヶ月後に、やっとその映画のDVDを借りることが出来た。
話の展開が早く、何をどうしているのか理解しがたいところもあった。
それは、パソコンはキー入力によってアッという間に情報が伝わってしまい、局面が変わる事を、映画においても表現するためであるのでは無かろうかと推定する。
クラッカーのケビン・ミトニック氏をスキート・ウーリッチが演じていた。
彼が、彼に指示しょうとする仲間に対して、
「俺はいつだって銀行より金を引き出せる。おまえよりも偉いんだ。」
と、仲間を怒鳴りつけるシーンが印象的であった。
事実、ミトニック氏は銀行のシステムに進入して他人の銀行口座から預金を引き落とそうと思えば、いくらでも出来た。
しかし、彼はそれをしなかった。
彼は、他人のコンピュータに侵入することのみに喜びを感じていた。
それ故、下村努氏が管理するコンピュータに一度は侵入したが、下村氏が侵入を知り、情報を全て暗号化してしまったので、その暗号を解く方法に執念を燃やし、仲間に携帯電話で話したことによって、電波発信場所が特定され、居所を下村氏に突き止められてしまった。
下村努氏を演じたラッセル・ウオンの演技も良かった。
気にくわなかったのは、女性との絡みがやたらにでて来て、それが映像展開に水を差していたことだった。
ラストのエンデングに、その後の二人がどうなったかについての字幕が流れた。
ミトニック氏は逮捕後、5年の刑の服役になるが、ミトニック氏を実質的に逮捕まで追い詰めた下村努氏は、政府・民間企業500社とハッカー契約を結んだというエンデング字幕には驚いた。
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