日経(2001年11月28日)の社説の下の記事を見て驚いてしまった。
「部下を引き立てて、気持ちよく積極的に仕事に取り組めるようにして働かせるのが、重要な職務である。」という江戸時代の儒学者佐藤一斎の「重職心得箇条」を、小泉首相は田中真紀子外相に手渡したという記事である。
佐藤一斎は幕府教学の大家で、その心得は故郷美濃岩村藩の要請で作った憲法であると報じる。
首相が外相に職務遂行の心得書を渡すことも驚きであるが、小泉首相はよくいろんなことを知っていることに更に驚いた。
首相の周りには策士やブレーンが多くいて、その中の誰かが取りあげたのではないのかと推定する人もいる。
新聞の中には「町興しには首相への故事の提供が最も近道かもしれない」と、妙なほめ方をしているものもあることから、勘ぐると岩村藩佐藤一斎の売り込みは岩村町長であったかもしれない。もしそうであれば、時代を先読みした企画行動力は相当なものと思われる。但し、真偽の程はわからない。
いずれにしろ小泉首相の故事は、米百俵から今度は岩村藩の出現である。
昨年(2001年)の最終小泉首相ライオンメールは、岩村藩佐藤一斎翁言語引用と翁の出身地の紹介であったようである。
岩村藩について新田次郎が著『武田勝頼』の中で、武田勢と織田勢の岩村城争奪戦を描いている。織田信長の血のつながりのある女性を城主とすることで、武田と織田は和睦した。前代未聞の女城主の出現である。
岩村は実践女子大学を作った著名な教育者下田歌子の故郷であるが、その他に佐藤一斎という立派な人を輩出していた町とは全く知らなかった。小さな田舎町でありながら、さすが城下町の格の違いが感じられる。
それに較べて、我が故郷は古きいにしえから全く誇るべき人材が出ていない。
情けなくなってくる。
かっての昔、木曽川を挟んで対岸の長野県の小中学生と石投げ合戦をして喧嘩していた少年は、岐阜県で生まれていたことを思い出して。
鑑定コラム520)「岩村にて」
鑑定コラム1191)「火野正平が岩村に」
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