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1191)火野正平が岩村に

 NHK-BSプレミアムの「こころ旅 2014年春」バージョンが、2014年3月31日より始まった。

 愛知県を出発して、岐阜県、滋賀県そして日本海沿を北上して、北海道に行く火野正平の自転車の旅である。

 再びの岐阜県の旅は、2014年4月7日より始まった。

 岐阜県最初の旅は、瑞浪の陶(すえ)より東に向かい昔の旧鶴岡村、旧遠山村を通って、岩村の山城であった旧岩村城の麓にある「大名墓地」という墓地を訪ねる旅であった。

 旧遠山村は、直参旗本の遠山明智家の所領である。
 江戸北町奉行そして大目付になった遠山景元、通称「遠山金四郎」の家系の所領である。
 映画、テレビドラマでおなじみの「桜吹雪の遠山の金さん」の所領である。

 岩村城は、遠山七家の惣領家の城であった。
 天正3年(1575年)の武田軍と織田軍の岩村の闘いで、遠山惣領家は滅亡する。
 岩村城は、その後徳川幕府の丹羽家、松平家が城主となる。

 遠山七家で生き残ったのは、苗木遠山家と明智遠山家の2つのみで、苗木遠山家は苗木藩の城主として生き残り、明智遠山家は、旧遠山村、旧明智町を所領とする直参旗本として徳川幕府に仕えた。その家督を継いだ中の一人が「桜吹雪の遠山の金さん」である。但し桜吹雪の彫り物をしていたかどうか不明であり、多分に映画、ドラマ用の創作に近い。

 実践女子大学を創った下田歌子は、岩村の出身であり、岩村に下田歌子の墓がある。

 ずっと昔、私は下田歌子の墓を訪れたことを思いだした。

 正平の自転車は、坂に造られた岩村の城下町商店街の坂道をあえぎあえぎ登る。

 その町並は、昔の面影が色濃く残されている。
 電柱がない。
 道路上空には電線の架空が全くない。
 ギラギラした広告もない。

 平成の大合併で恵那市に併合される岩村町の最後の町長は、古い城下町の町並を残そうとした。

 城下町のメーン道路から電柱、電線を撤去し、町は木造2階建の古い建物のままとし、町並の保存を計った。

 町民も協力した。
 江戸時代の頃の岩村城下町がほぼ再現した。
 旧岩村城の物見櫓も再現させた。

 町を訪れる観光客は増えた。

 他方、町長はトイレの水洗化にも尽力した。

 そのアイデア町長は、時の小泉首相に、「部下を引き立てて、気持ちよく積極的に仕事に取り組めるようにして働かせるのが、重要な職務である」と説く、旧岩村藩の江戸詰学者であった佐藤一斎を売り込んだ。

 これが見事に成功する。

 電柱のない昔の姿をした町並の家の2階の窓は開け放たれ、ひな人形が飾られている。岩村町を訪れた観光客は、各家のひな人形を見て楽しむことが出来た。

 月遅れのひな祭りの最中に、正平の自転車隊は、岩村に来たのである。

 「大名墓地」の入口近くに下田歌子の墓が、テレビ画像から見えた。

 私が昔訪れた下田歌子の墓は、「大名墓地」と呼ばれる墓地にあったのかと改めて知る。


  鑑定コラム7)
「岩村藩佐藤一斎」

  鑑定コラム520)「岩村にて」

  鑑定コラム820)「火野正平自転車のこころ旅」



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