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813)台風15号東京帰宅困難者の群れの一人

 南の太平洋上で一回転するというおかしな動きをしていた台風15号が、一転日本本土に、強風と大雨を引き連れて、猛烈な勢いで向かってきた。

 平成23年(2011年)9月21日午後2時より、東京地方裁判所の18階大会議室で、東京地裁鑑定委員による借地非訟ケーススタディ協議会が開かれた。

 弁護士、不動産鑑定士、建築士等の有識者の3者と、借地非訟部の裁判官5人によるケーススタディである。

 会議の冒頭には、恒例の東京地方裁判所所長の挨拶がある。
 ここで今迄の借地非訟部の扱ってきた事件数等が公表される。

 平成22年度の東京地裁が扱った借地非訟事件数は169件で、これは全国の58%に相当するという。

 借地非訟事件は東京地裁が断トツに多く、借地非訟事件の実務にもっとも長けているのは、東京地裁と言うことかも知れない。

 1年に一回であるが、時の東京地裁の所長の挨拶を聞くことも、私がこのケーススタディに参加する楽しみの一つになっている。

 というのは、東京地裁の所長のポストは、裁判官としての出世コースの一つであり、挨拶する人がいずれ最高裁判所の裁判官になられるのかと思いながら聞く挨拶は、また違った味わいをもたらすものである。

 上田豊三所長が私が最初に挨拶を聞いた所長だったか。
 上田所長は、その後大阪高裁長官から最高裁裁判官になっておられる。

 現在の最高裁裁判官の金築誠志裁判官、白木勇裁判官も、東京地裁の所長を経験されている。借地非訟のケーススタディ協議会で挨拶を聞いた。

 今年挨拶された岡田雄一所長も、いずれ最高裁の裁判官になられるのか。
 そんな感慨をもって挨拶を聞いた。

 ケーススタディの議長は、民事22部の総括判事の河野清孝裁判官が務められた。

 議事進行に先立ち、河野裁判官議長が、本日は台風15号の接近のため、会議終了後の参加者の交通の足を考えて、会議は休憩時間抜きにし、発言時間は3分以内にして早く終えたいと発言すると、参加者から拍手がわき上がった。

 60才台後半の鑑定委員参加者が多く、その参加者にとって会議が早く終わる事は歓迎である。
 若い裁判官議長よくぞ心配りをして下さったという感謝の印である。
 やんちゃ坊主が喜ぶごとくの歓迎の拍手である。

 突然の拍手に、河野裁判官議長は一瞬戸惑い、苦笑いをしながら、

 「拍手有り難う御座います。」

と言う。

 これで大会議室は大笑いとなる。
 
 河野裁判官議長のてきぱきした議事の進め方により、会議は4時少し前に終わった。

 私はすぐに帰路についた。
 地下鉄霞ヶ関駅で丸ノ内線に乗り、地下鉄新宿駅で降りる。

 地下鉄新宿駅から、京王線の新宿駅に行く。
 京王線で府中駅まで行こうとしたが、京王線は台風の強風のため、全線ストップしていた。
 いつ運転再開するか分からないという。

 仕方なくJR新宿駅に向かう。
 JR中央線の国分寺駅に行こうとしたのである。国分寺駅から府中の自宅へはバス利用出来る。
 中央線は動いていた。

 JR新宿駅の改札口を通り、中央線の下りのプラットホームに行こうとすると、ホームへの階段は人がいっぱいである。
 プラットホームまで人をかき分けてたどり着くと、中央線のホームは人、人、人でホームより人があふれんばかりのいっぱいの状態である。

 そうしたホームで下り電車を待った。
 ホームにあふれんばかりに居る人に対して、雨を含んだ横殴りの風が容赦なく吹き付ける。

 ホームにいる大部の人は、横殴りの風が運ぶ雨によってかなり濡れている。
 ホームの屋根は屋根の働きをしていない。
 ハンカチで、顔や頭に当る雨の滴をぬぐいながら、ホームの人々は電車の到着を不平不満の文句の言葉も発せずじっと待っている。

 下り電車は大幅に遅れて到着する。
 時刻通りになど運行されていない。

 新宿駅に到着する10両編成の電車は、既に満員である。
 新宿駅から乗り込もうとする人は、降りる人の通路を一応開けるが、降りる人がもたもたしていると、乗る人が我慢出来ず、乗降扉に殺到する。

 車内に残っている降りようとする人は車内に押し戻される。
 乗る人と降りる人が入り乱れる。
 それはあたかも桶の中の芋を洗うごとくの状景である。

 私も電車に乗れず、3電車見送った。
 やっと乗ることが出来た列車の中は、もの凄い混みようである。
 手を上に挙げたら、挙げた手がおろせない混みようである。

 それを漫画で言えば、定員の3倍の乗客を乗せて、丸くふくらんだ提灯のごとくの列車の漫画を思い浮かべれば少しは理解出来よう。

 列車は動き出したが、中野駅でストップ、ここで約10分程度停車、高円寺駅でも同じ、阿佐谷駅も同じ、荻窪駅も同じ。荻窪駅でやっと車内の混雑が緩和し乗車率200パーセント程度になったか。

 どの駅でも10〜15分程度停車する。
 車内のアナウンスは、先に走っている前の列車が、前の駅に停車していますので、当駅で本列車も停車しますというのである。

 西荻窪、吉祥寺駅そして三鷹駅までつくのを辛抱強く待った。
 三鷹駅にやっと着いた。
 時計を見ると午後7時に近い。  霞ヶ関を出てから3時間近くになる。

 乗っている列車は、三鷹駅を一向に発車しない。
 その内にこんなアナウンスが流された。

 「国立〜立川間の信号機が台風によって故障しました。
 復旧には相当時間がかかります。」

と。

 これではダメだと悟り、電車を降りた。
 ずっと立ちっぱなしであったため、脚が痛い。

 改札口を出て休もうと喫茶店を探したが、何処も満席である。

 タクシー乗り場に行ったら、タクシーを待つ人が長い列を作っている。
 しかし、タクシーは一台も来ない。

 どうしたものかと思案に暮れていたところ、目の前にバス停があり、バスが停まっていた。
 行く先は杏林大学病院方向に行くバスであった。

 発車間際急ぎバスに飛び乗った。
 乗客は私も含めて数人であった。

 杏林大学病院に行けば、いつもタクシーがたむろしている事から、タクシーはあるだろうと思い乗ったのである。

 大学病院の前にはタクシーは一台もなかった。
 仕方なく、300m位離れた都道の通称30メートル道路と呼ばれる東八道路(東京と八王子を結ぶ新しい都道)に向かった。

 三鷹駅、吉祥寺駅から客を乗せて、目的地に客を降ろして空になったタクシーは駅に戻る為に通るだろうと判断したのである。

 やはりすぐ空のタクシーが見つかった。

 自宅までタクシーで帰ることがやっと出来た。
 タクシーに乗って運転手に聞いた。

 「杏林大学病院の前にはいつもタクシーが居るが、今日は居なかった。
 どうしてだろうか。」

 「お客さん、今日は客待ちのタクシーは一台もありません。
 客待ちをしていると、すぐ無線指令で何処そこへ行けと全て呼び出されてしまいます。
 杏林大学病院の前のタクシーもそうではないでしょうか。」

 これでは駅でタクシーを待っていても、いつまでたってもタクシーが来ないことが分かった。

 自宅に午後8時少し前につくことが出来た。
 疲れた。
 霞ヶ関を出てから3時間半少しの時間が経っていた。
 長時間立っていたために、脚が棒の様になってしまった。

 午後10時のテレビのニュースは、新宿駅の状況を伝えていた。
 新宿駅は改札口の入場制限がなされていた。
 電車に乗る順番を待つ人々が、駅の内外にあふれている映像が流れていた。



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