○鑑定コラム


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881)91歳の先輩が友を偲ぶ

 今年(平成24年)も4月6日が来た。

 昭和16年4月6日、滋賀県高島町(現高島市)萩の浜の沖合の琵琶湖で、旧制第四高等学校の漕艇部員11名が遭難し亡くなった。

 NHKラジオの今日は何の日かという放送で、旧制四生の琵琶湖遭難の日だと伝えていたようである。

 北の都会の月例会(第708回)が、銀座7丁目のライオン7丁目店(旧大日本麦酒本社ビル)で開かれた。
 会合には夫婦2組の初参加があった。
 初参加者の挨拶で、婦の卒業生の一人が、

 「ビールが飲み放題と聞き、夫を連れて参りました。」

の挨拶には、会場は大爆笑と歓迎の大拍手が湧き起こった。

 旧制四生、金沢大学卒業生70名が集まり、71年前に、若くして琵琶湖で遭難した11人の死を哀悼した。
 遭難した学生は11人であるが、そのうち四生が8人、3人は3月に四を卒業し、京都帝国大学に合格して入学手続を終えていた京都帝国大学生である。

 昭和16年春に四に入学した旧四生が話す。
 入学式前に新聞で遭難を知る事になったと。

 一方、昭和16年に四を卒業し、京都帝国大学に入学した人は話す。

 遭難し亡くなった3人の名前を上げ、その3人とは京都帝国大学に合格した同期であったという。
 同大学に進学した友は、同期の3人が入学式にいないことを嘆き悲しんだ。

 その3人の中には、鑑定コラム652)「四漕艇部琵琶湖遭難昭和16年4月6日」で書いた福富氏の名前がある。

 福富氏は医学部に合格していた。

 そして、遭難した友の遺体が上がるまで、一週間余琵琶湖の湖岸で友を待ち続けたという。
 遺体で上がった友の両手は、オールを握ったままの形をしていたと、昔を思い出しながら昨日の出来事のごとく生々しく話す。
 友を哀悼し話する人は、今は91歳である。


  鑑定コラム652)
「四漕艇部琵琶湖遭難昭和16年4月6日」

  鑑定コラム755)「2,3年生は号泣していた」


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