2013年も今日で終わりである。2度と2013年という年は無い。
今年のわが思い出の一つを。
長い間の念願が叶った。
少年の頃から、いつかは夏の甲子園の全国高校野球大会を見たいという願いが、2013年にやっと叶った。
桐蔭横浜大学で教えているという縁と云うこともあり、また講義終了後、桐蔭学園前バス停から青葉台駅行きの東急バスの始発バスに乗るが、下校する桐蔭学園の小・中・高校の生徒と一緒にぎゅぎゅうずめにされて、下校している縁もある。
そうした縁があることから、桐蔭学園高校が神奈川代表で甲子園に行くならば、即応援に行こうと思っていたが、なかなか勝ってくれない。甲子園に応援にちっとも行けない。
巨人軍の高橋由伸選手を輩出した桐蔭学園高校はここ14年程夏の甲子園に出ていない。
2013年群馬の前橋育英高校が、群馬県代表として夏の甲子園に出場した。
同校には今年の4月から一つのつながりが出来ていた。
前橋育英高校があれよあれよとベスト8まで来てしまった。
前橋育英は初出場であり、ここまで勝ち上がれたことも奇跡である。
準々決勝の相手は、同じ関東勢の茨城の常総学院であった。常総学院は強かった。
テレビで見ていたが、9回の2アウトまで前橋育英は負けていた。
あとアウト一つでジエンドの状態であった。
それが、9回の2アウトで逆転勝利してしまった。
常総学院に勝ったため、準決勝戦に前橋育英は出ることになった。
初出場で決勝進出は無理であろう。そんなミラクルは無いであろう。
とすると準決勝戦が前橋育英の最後の試合になるかもしれない。
桐蔭学園は一向に甲子園に行ってくれない。それを待っていたらもう甲子園に行くことが出来なくなるかもしれない。
「そうだ甲子園に行こう。」
今年4月から急に何だかつながりが出来た前橋育英高校であるが、これも縁であろうと考え、長い間の念願である甲子園に高校野球を見に行こうと決意した。
準決勝戦の相手は日大山形であった。
試合は第一試合で11時開始という。
自宅から東京駅まで約1時間半かかる。
新幹線のぞみで新大阪駅まで行き、地下鉄で梅田駅に行く。そこで阪神電鉄の特急に乗り、甲子園駅で下車する。
11時に試合が始まるとすると、その30分前までには甲子園球場に入っていたい。
とすると逆算すると自宅を何時に出れば良いのか。
朝5時に自宅を出て、甲子園に向かった。東京から応援に行くのも大変である。
甲子園駅は小さな駅であった。
プロ野球の阪神の本拠地の球場の最寄り駅であるから、大きく立派な堂々とした駅を想像していたが、そうでは無かった。
プラットホームの端には、虎綱が張ってあるのである。いささかがっかりした。
降車口から前を見ると高架の高速道路が走っていて、球場は見えない。
どこに球場があるのかわからなかった。
人々が進む方向につられて歩き、高架の高速道路の下の道路際にきて、初めて甲子園球場の壁が見えた。
これが甲子園球場なのかと、初めて見る球場をしげしげと見た。
多くの人が順番待ちの列を作っていた。
入場券販売窓口である。
前売り券など買っていないので、列の最後についた。
バックネットの席は既に売り切れていた。
前橋育英の選手ベンチは3塁側であったので、3塁側内野特別席の入場券を買った。
観客席の多くは既に埋まっていた。
席に腰を下ろしたのは、10時40分ほどであった。
朝5時に自宅を出て、甲子園球場に10時40分についたのである。
天気は良く、陽はカンカンと照りつける。
暑い。
甲子園の夏は暑いと云われるが、その暑いのを実感した。
前の席には、小学生がおばあちゃんと見に来ていたが、ビニール袋に入ったかち割り氷を頭の上にのせていた。
前橋育英高校は勝った。
決勝に進むことになった。
試合が終わるとどこにも寄らずにすぐ東京に向かう。これから5時間半掛けて、東京の自宅に戻らねばならない。忙しい日帰りの日程である。
新幹線があるから、ハードな日程をこなせることが出来る。
とはいえお金もかかったが、体も疲れた。
前橋育英高校は、初出場で初優勝という快挙を成し遂げた。
甲子園初出場で初優勝は、春の選抜高校野球での飯田長姫高校の優勝が私の記憶にある。長姫は「おさひめ」と読む。
長野県飯田は、私の故郷とは中央アルプスを挟んで反対側にある。
その飯田の飯田長姫高校が甲子園で優勝したことは、中央アルプス山脈の反対側にある岐阜県の小さな町でも大変な評判になった。
私は小学生であったが、飯田長姫高校の優勝を小学生ながら新聞でも識り、強烈に覚えている。
2013年夏、前橋育英の甲子園の応援写真を2葉貼り付けておく。
鑑定コラム1680)「2017年夏熊谷にて」
鑑定コラム1836)「桐蔭学園は31年春選抜高校野球に行けそうだ」
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