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200)見抜かれている日本人の行動

 今迄は、不動産を中心にした価格分析で、どちらかといえば金、金の経済価値ばかりを論じてきた。
 それ以外の事は今迄避け、あえて触れてこなかったが、鑑定コラム200編を記念して、今迄避けてきたものの内の1つだけを述べたい。

 飛行機から眼下に見える宮古島は、白い砂地が透き通って見える浅瀬と珊瑚礁そして淡い空色、エメラルドグリーン、ダークブルーの海に囲まれていた。

 島に近づくにつれて小窓から見える平坦な島は、さとうきび畑に一面に覆われていた。さとうきび畑、さとうきび畑、さとうきび畑である。

 歌手の森山良子が唄う、
 "ザワワ ザワワ ザワワ 広いさとうきび畑は・・・・・・・
 昔、海の向こうからいくさがやって来た・・・・・・・・
 あの日、鉄の雨にうたれ父は死んでいった。夏の日差しの中で・・・・・" 
の歌詞が思い出されてくる。

 観光旅行に宮古島に来たのではない。
 企業のM&Aに伴って、宮古島に所有する企業の土地建物の時価を鑑定評価する為に来たのである。

 世界地図で見ると、宮古島は台湾の北端にある台北市とほぼ同じ緯度である。
 随分と遠く、南に来たものだと思ってしまう。
 沖縄の県庁所在地の那覇市への距離と同じくらいに台湾がある。
 南に島伝いに、すなわち伊良部島、石垣島、西表島、与那国島を経れば台湾にすぐ行けるのではないかと思えてくる。

 そして宮古島から北へ、沖縄本島、沖永良部島、徳之島、奄美大島、屋久島、種子島と北に続く島々を渡っていけば、鹿児島に行けそうである。

 宮古島のサトウキビ畑を飛行機の小窓から見、そして台湾から九州に続く島々の点在を頭に描いていたら、ある新聞のコラムが思い浮かんできた。

 大学卒業後、そろそろ40年になろうとするが、その間ずっと私は日本経済新聞を読んできている。
 その日経の夕刊にコラムが掲載されている。各界の著名な人々が、半年間担当し、それぞれの考え方を述べているコラムである。

 そのコラムの中で、私にとって最も強烈に印象に残り、私が最高のコラムと思っているコラムがある。
 そのコラムは、元中国大使であった国弘道彦氏の『七十年前の警告』(平成7年12月5日 日本経済新聞夕刊)という題のコラムである。

 そのコラムの大意は次のごとくのものである。
 コラムで、国弘氏はニューヨークのホナンというジャーナリストが書いた記事を、概略下記のごとく紹介する。

 「ヘクター・バイウオーターという英国の海軍諜報機関員の経歴を持つ軍事ジャーナリストが、1925年『太平洋戦争』という本を出版し、日本が米国と戦争したらどういう展開になるか極めて具体的にシュミレーションした。
 日本は太平洋で米艦隊を不意打ちし、フィリッピンとグァムを占領して緒戦を制するが、1年半後には、米国が経済力を総動員して戦力を立て直し、島とび作戦で逆転勝利する。」と

 1925年は大正14年である。太平洋戦争は、その16年後に起こっている。
 太平洋戦争はバイウオーターの言うとおりの結果となってしまった。

 日本は一ジャーナリストの予測通りの戦争を引き起こし、原爆二個を落とされて、予測通り負けた。
 日本人の行動は、一ジャーナリストに敗戦の結果と敗戦への道順まで、16年も前に見抜かれ予測されていた。

 情けなく甚だ悔しいが、英国人の優れた分析力を持った人から見れば、日本人の行動は容易に充分予測出来るという事になる。

 何百万人という人々が、始まりから結果まで予測されていた戦争で死んでいった。一体太平洋戦争というものは何だったのか。

 私の唯一の叔父も、旧大蔵高商(現東京経済大学)の助教授の職にありながら、赤紙一枚で徴兵され、帰らぬ人となってしまった。

 父は多くは無いが、東京に出てきて靖国神社にお参りしていた。私も同伴した。
 夜は私の家で酒を飲みながら、出来の悪い息子である私を説教した。
 
 そして最後は南海の島で死んだと伝えられた、ただ一人の弟の死を認めがたく、未だ帰らぬ弟をどれほどいとおしみ哀れんだことか。

 故郷に眠る今は無き父母の墓参りをするとき、墓地の周りの他の墓石の字句を読むことは忍びがたい。
 日清戦争、日露戦争に出兵して死んだ人の墓もあるが、それとは比較にならない程多くの太平洋戦争による死の墓碑が目につく。

 00上等兵、享年21歳。00曹長、享年22歳。00伍長、享年25歳・・・・・・・
 死んでいる年はいずれも若い。
 苗字を見れば、ああ、あの家の人か、この家の人もか、あそこの親戚の人かとすぐ分かる。

 山と川に挟まれた耕地の少ない貧しい小さな町の次男坊、三男坊は戦争にかりだされ、死して故郷に帰ってきた。家族は戦死して帰ってきた息子のために、せめてもの供養として立派な墓を建てた。
 立派な墓を見れば、見るほど何故に我が故郷から、かくも多くの戦死者を出さねばなかったのかと、涙が込みあがってくる。

 そして再びサミュエル・ハンチントンが、アメリカと中国とが南シナ海の覇権を巡り武力衝突し戦争を始めると予測する。

 発端は南シナ海の石油資源を巡り、中国が南シナ海の覇権を主張するとベトナムがこれに反発する。
 中国はベトナムに侵攻する。
 ベトナムはアメリカに支援を訴える。
 アメリカは中国のベトナム侵略は容認出来ないと南シナ海に空母を派遣する。
 中国は領海侵犯だと言ってアメリカの空母を攻撃する。
 こうして、アメリカと中国は戦争を始めると、ハンチントンはアメリカと中国の戦争を予測する。

 その場合、日本はどういう行動をとるのかとサミュエル・ハンチントンは、『文明の衝突』(集英社 鈴木主税訳 1998年)で述べる。

 ハンチントンは予測する。
 日本は米国軍事基地もあり、当初は中立を保っていたが、中国が軍事的に勝利したのを見て中国側にすり寄り、中国の要求に従い、中国側につき参戦すると。

 ヘクター・バイウオーターの開戦16年前に予測された太平洋戦争の日本の敗戦と同じごとく、ハンチントンの予測に日本人・日本国は再び導かれるのであろうか。
  

<追記> 2008年12月30日
 2008年12月27日ニューヨーク発の共同通信は、ハーバード大学は昨年まで同大学で教鞭を執っていたサミュエル・ハンチントン氏が12月24日死亡したことを明らかにしたと伝える。81歳という。


 鑑定コラム570)「叔父は戦地から帰ってこなかった」

 鑑定コラム323)『硫黄島からの手紙』という映画


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