今迄あえて避けてきたもののうちの一つを、今年(2006年)最後のコラムとして少し記す。
アメリカのクリント・イーストウッドが監督した『硫黄島からの手紙』という映画を見た。
太平洋戦争で、日本軍とアメリカ軍が1945年2月から一ヶ月余の間死闘を繰り広げ、日本側死者21000人余、アメリカ側死者6000人弱、戦傷者17000人余の犠牲者を出した太平洋戦争屈指の激戦となった硫黄島の戦いを題材にした映画である。
気の重くなる映画である。
映画は、総司令官栗林中将の家族への手紙、兵隊の家族に宛てた手紙をもとに描かれているが、制海権も制空権も失い、敗戦の色濃い太平洋戦争の日本軍の戦況にあって、援軍の望みも無く、退路の道も無く「硫黄島」という島で、軍事力と物量に勝るアメリカ軍と戦い死んでいく日本兵士の悲惨さを描いている。
硫黄島の2万人余の日本軍の兵士にとって、降伏は許されず、あるのはアメリカ軍と戦い、アメリカ軍の銃弾、弾薬によっての「死」、或いは自らの手榴弾による玉砕の「死」のみである。
一日でも長くアメリカ軍を硫黄島の戦いに釘付けさせ、時間をつぶさせることが、日本本土への上陸を遅らせ、日本本土の人々の生命を生き延びさせることに繋がるのだという指揮官の命令に従い、徴兵された一般人の日本人のにわか軍人は、硫黄島に洞窟を掘る。そしてアメリカ軍の硫黄島上陸を迎え撃とうとする。
しかし、アメリカ軍は何も硫黄島の戦いによって、日本本土への攻撃が遅れるとは思っていない。
サイパンから硫黄島の上空を飛んで、日本本土への爆撃機による爆弾攻撃は始まっているのである。沖縄への米軍上陸も1945年4月に始まっているのである。
硫黄島を死守せよという軍部大本営の命令は、すでに戦況の情報伝達が遅れ、状況認識を間違えている。
それとは知らず、硫黄島の洞窟に立てこもりアメリカ軍を釘付けにすることが、本土の家族を少しでも生き延びさせることだと信じて戦い、死んでゆく兵士は理不尽で、かわいそうだ。
迎え撃つべきアメリカ軍艦隊が海上に姿を現す。
その海上に整列して浮かぶ大艦隊のスペクタル映像は、黒沢明の「影武者」の丘に並ぶ大騎馬軍団のロングカットシーンを想い出させる。黒沢明のカットシーン、撮影技法の影響があるのかなと私には思われた。
硫黄島沖に並ぶ大艦隊を目にし、艦砲射撃と絶え間ない飛行機による爆弾作戦に、戦っても先行き勝ち目は無いことを、多くの兵士は読み取る。
悪くなる一方の戦況に伴って、玉砕という名の手榴弾による自爆行為に、戦争というものに疑問を感じ始めたパン職人から徴兵された若者は、故郷に残した妻と出征時そのお腹の中におり、今は2才になっているであろう我が子の為に、生きて帰ることを心に決める。
2万余人の兵士の指揮官である栗林中将を渡辺謙が演じる。
オリンピックの馬術競技で金メダルをとった西中佐を伊原剛志が演じる。今後は恐らくオリンピックがおこなわれる度に、硫黄島で戦死したゴールドメダリストの西中佐と、この『硫黄島からの手紙』という映画を想い出すことになるであろう。
この映画は、栗林中将を演じる渡辺謙が主役かもしれないが、私が実質的に主役と思う人は、パン職人から徴兵されて西郷と言う一兵卒を演じる二宮和也という青年では無かろうかと思う。
彼は「嵐」というグループの歌手と言うが、私は彼を今迄見たことは無い。知ら無かった。
現在の渋谷・新宿辺りをうろついている若者が、60年の時空を越えて、硫黄島の戦争に狩り出されたごとくの話し方、考え方で役を自然に演じる。
戦争当時には許されない話し方、考え方であろうが、それはそれで良い。
一兵卒の役を、演技なのか日常のごとくの地でやっているのか、その区別が全く付かない。素晴らしい演技力である。この青年の俳優としての素質がキラリと見える。
人と人が殺し合わなければならない戦争というものの不合理さ、哀れさ、無情さを感じさせるのは当然として、戦争を始めたら止めさせることが出来ない日本と言う国の国家組織の怖さと、死を持ってでも無条件に従わなければならないという国家組織の戦争に対する考え方が、遺伝子のごとく国民にしみこませ、伝えられていることの怖さを、再認識させられる。
戦争遂行の最高責任者が、「戦争をやめる」と早く決断すれば、どれ程多くの日本国民は死を避けられたものか。
日本とアメリカが戦争したら、日本はアメリカに負けることを太平洋戦争開戦の16年前に、英国人のヘクター・バイウオーターが分析して本で述べている。
バイウオーターは、日本は緒戦は勝つが、経済力と軍事的物量でまさるアメリカに、島飛び作戦で日本は負けると分析する。
その頃英国に留学していた、或いは武官として駐英していた日本軍人の人達は、このバイウオーターの分析を知っていたのでは無かろうか。
山本五十六元帥は、英国でバイウオーターに会っていると聞く。
太平洋戦争を体験した人は、現在では80才以上の人しかいない。
その人々は戦争のむごたらしさを肌で知っている。再び戦争をしたいとは思わないであろう。
若い20代、30代の人々も、この映画を見て、二宮和也が演じる一兵卒の西郷がつぶやく、
「こんな戦争やっとれないよ。勝てっこない戦争をどうしてやるのか。」
の類の言葉に同感する人も多いであろうが、いざ戦争が始まったときに、その様な考え方を持って、しっかりと自己を律することが果たして出来るのであろうか。
私は思う。
民主教育を受け平成の平和の享楽で育ち、自分は戦争はおこなうべきでは無いと思っていても、それは自分の一人よがりの観念的なものでしか無い。
日本人の最も悪い性格、誰もが責任を取ろうとしない国民性、即ち自分の頭で考え、自分の言葉で表現する自我の確立がなされない人間形成が続く限りは、日本人は再び必ず同じ過ちを繰り返す。
日本人の自我の確立と責任の取り方が改められない限り、戦争は再び起こり、残虐行為がおこなわれる可能性はある。
誰かが勇気を持って、戦争をすることを止めさせる行為、戦争が始まったら止めさせる行為を取らなければならない。
それが出来るか否か。
私の父のただ一人の弟、即ち唯一の叔父も太平洋戦争で帰らぬ人となってしまった。残された家族の人々の悲しみは言葉でいいつくせるものではない。
自分の身内の父、兄、弟、夫そして我が子が、戦争に狩り出されて亡くなったことを考えて見れば良い。
硫黄島で死んだ日本人21000人余、アメリカ人6000人弱の家族の悲しみ、無念さは筆舌に尽くしがたいものである。
エンディングに流れるトランペットの曲が耳に残る。
2006年最後の鑑定コラムです。
1年間愛想も無い当ホームページを訪問してくださり、鑑定コラムをご愛読頂き有り難うございました。感謝いたします。
来年も引き続き、不動産鑑定の実証性の切り口で、不動産価格分析等のコラムを提供するつもりです。
再度のご訪問をいただければ幸いです。
幸あれ! 2007年よ。
鑑定コラム200)「見抜かれている日本人の行動」
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