2008年7月末の夕方、賃料についての講演を終えて、岐阜長良川の鵜飼いを見物した。
映画俳優のチャップリンも激賞したという長良川の鵜飼いである。
豊臣秀吉、徳川家康も、また松尾芭蕉も楽しんだという鵜飼い見物という舟遊びを一度はしてみたいと思っていた。
折角岐阜まで行くのであるから、願いは叶わないと思いつつ、私のお願いを伝えたところ、講演開催者と友人は私のお願いを聞き入れてくれた。
私は相乗りでの見物で可と云ったのであるが 、鵜飼い観覧船一艘を借り切ってしまった。
一艘の借り切りなど、シーズンの始まる前ならば出来るであろうが、現在はシーズンの真っ最中である。
既に予約で満杯のハズである。予約のキャンセルでも出ない限り出来ないことである。それを両人は実現してしまった。
そして、
「綺麗どころを二人つけ、三味線もつけるから岐阜に来て楽しんで下さい。」
と、東京にいる私に連絡が入った。
私はびっくりしてしまった。えらい大袈裟になってしまったと戸惑った。
その事を東京の知り合いのある不動産鑑定士に話したところ、
「普通の知人であったとしても、そこまでの歓待はしてくれないし、やらない。その人々は田原さんを信頼し、大切な人と思っているからこそ、あなたの申し出を受け入れてするのですよ。
あなたはそこが分かっているのか。
企業の社長命令で、支社の社員が行うこととは違うんだよ。
個人的な信頼のつながりでのみ、そうした事を行ってくれるのだよ。
しかし、あなたは幸せ者だ。そこまでしてくれる知人を持っていることが。
うらやましいよ。」
と、私に諭す意見を述べた。
鵜飼い観覧の手漕ぎ舟は、長良川の上流を目指す。
川面を渡る涼しい風が、体を通り抜けていく。
午後7時半からの鵜匠の乗る鵜飼い舟が登場するまでの間、上流の川岸で、観覧船は待機する。
その間、立派な松花堂弁当を食べお酒を飲みながら、宴会が始まった。
乗船していた少し年のいった綺麗どころが、三味線に合わせて唄い始めた。
20数隻の観覧船が停泊しているが、2人の綺麗どころと三味線弾きが乗っている舟は、私達の乗っている舟のみだった。
唄と三味線が流れ始めたら、それまで賑やかであった両隣等の舟はシーンと静かになってしまった。こちらの舟を見ている。
川に浮かんだ船上で聞く三味線の音色は良いものだ。
三味線のバチにはじかれた高周波の透き通った音色が、周りの自然に吸い込まれ、溶け込んで行く様である。
辺りが暗くなった。
闇にかがり火が浮かび上がり、鵜飼い舟が現れた。
舟の前方にかがり火が燃え輝き、10数匹の鵜を操る鵜匠が舟の先に立つ。
舟の中辺りに中乗り、最後尾に船頭が乗っている。
一艘の鵜飼い舟に、3〜4隻の観覧船が取り巻き、川の流れに従って下っていく。
鵜匠は、川を泳ぎ、川に潜る鵜を操る。
かがり火の熱気が、見ているこちらにも風に乗って吹いてくる。
熱い。
かがり火の直近に居る鵜匠は、相当熱いのでは無かろうかと推測する。
一艘の舟の真ん中辺りに「チビ鵜匠」が立って乗っていた。
小学生であろうか。格好は腰みのをつけ一人前の鵜匠の姿をしている。一匹の鵜を操っている。
何ともかわいらしい。
いずれ親の後を継いで、一人前の鵜匠になるのであろう。
私は知らなかったが、長良川の鵜匠は宮内庁の式部職であり、鵜匠として6人が認定されている。
代々世襲制となっているという。鵜匠の家の長男に産まれたら、一生鵜匠の道を歩むことになる。
鵜に鮎等の川魚を捕獲させながら、舟は川を下る。
最後に、かがり火が川面を照らす6艘の鵜飼い舟が、長良川横一杯に雁行型に並び、円を描いて鮎を追い込む「総がらみ」の漁が行われた。
圧巻である。
長良川の鵜飼い見物を充分堪能した。
東京の友人が私に諭した「良き知人」に感謝する。
写真はあまり良く写っていないが、最初は鵜飼い見物者の観覧船への乗船風景。私達はまだ誰も乗り込んでいない。まだ明るい。
次は右へ、遠景からの「チビ鵜匠」の鵜飼い状況、写真をクリックすると小さい少年のチビ鵜匠がかわいらしく見える。
3枚目は直近から見た鵜匠。最後は鵜飼い舟6艘の「総がらみ」の始まり状況です。
写真をクリックすると大きくなります。
なお長良川の鵜飼いについては、岐阜市のホームページを閲覧下さい。詳しく歴史等が書いてあります。
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