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163)原野商法

 「今度は不動産鑑定士か。・・・・
 東京から来たのか。
 良くここがわかったなあ。」
 差し出した名刺を見ながら、人里離れた山麓の一軒家に住んでいる50歳位の男はつぶやいた。

 「ええ、場所がわからないために役場やあちこちの人々に聞きながら、やっとたどり着きました。役場に着いてから、ここに来るまでにたっぷり半日かかりました。いゃあ、わかりにくかった。」

 「そうか、それはご苦労さんだったなぁ。これで訪れてきたのは、あんたで4人目だ。」
 「4人目と言うと、調査に来た人が3人いたということですか。どんな人ですか。」

 「税務署の役人、弁護士そして税理士だったなぁ。
 不動産鑑定士はあんたが初めてだょ。
 結局、3人とも現地がわからずに帰って行ったょ。
 あんたも行っても、その土地が何処にあるか見つけることは無理だょ。
 道など無いし、ブッシュが生い茂っていて、中に入ることが出来ないょ。
 境界の石など無いから、境界なぞわかりっこない。私が行ってもわからないょ。」
と男は云う。

 男に、評価する土地のおおよその場所を印した地図と、分割の測量図を示して土地の所在位置の確認を行った。
 そして、その土地に行く山道と目印を教えて貰った。

 「ここからどの位掛かりますか。」
 男は私の靴を見ながら、
 「そうだな、この東側の山道を上に30分ほど登ると、道が二手に分かれる。 それまでは道は曲がっているが一本道だ。
 その分かれ道より右側の道の東側一帯が、昔、山林分譲された所だ。
 分かれ道は地図ではここだ。ここより対象地は、測量図より見るとやや下がってこの辺りになりそうだなぁ。」
と、男は教えてくれた。
 そして続けた。

 「兄と私が昔売った山林だょ。
 二人で100町歩位売った山林の中の土地だょ。
 反50万円位だったかな。」

 「今だといくら位するのですか。」
 「今? 買う人などいないょ。建物も建たない600坪位に、細切れになっている山林など誰も買わないょ。」
 「でも、雑木林の取引は有るのではないですか。」

 「無いね。
 平坦な牧草地で反8万円で売買されたという話があった。
 山林はそれ以下だね。
 いま時、開墾して牧草地を造ろうという人はいないょ。」

 「そうすると、山林を売り払って随分儲かったのではないですか。」
 「まぁな。それも昔の話ょ。
 その当時まだ上がると思ったょ。反10万、20万、30万と上がっていったから。
 不動産屋がどうしても売ってくれという。
 渋っていたら、目の前に札束を積んで、反50万円で買うと云うんだ。
 冗談と思ったら、本気だという。
 そんなバカ高い価格で、あんな雑木林の山を買ってくれるというならということで、兄、親族と相談して、持っている山林100町歩位を売り払ったょ。
 そんなに山林を高く買って、ゴルフ場でも造るのかと思ったょ。
 しかし、まさか小口に分割して無茶高の値段で売り払うとは思わなかった。 まぁ、よく買う人がいるものだと感心したょ。」

 青森の陸奥半島の、ある小高い山の頂上を含めた広大な山林を、2000平方メートル程度の規模で数多くの区画に分筆して、土地分譲した中に、評価する対象土地はあった。

 土地の公図には、碁盤の目のごとく区画分筆され、4メートル巾の道らしきものが描かれている。
 現地は道なぞ無い。雑木林が繁茂し、画地の形態など一切していない。電気水道などもちろん無い。一面山林である。

 むつ小川原開発がはやし立てられた。一大工業団地が造られると。

 それに伴い土地価格が上がると不動産業者はあおり立て、公図上に山林を小区画に区画割りして 、土地価格が5倍、10倍に上がると云って、山林別荘地として売り出した。東京等に住んでいる人々が、それらの旨い話に乗せられて買ったのである。

 今からおよそ30年位前(昭和50年代)の「むつ小川原開発」に伴う「原野商法」の土地である。

 相続が発生し、むつ小川原にある土地の価格が、ある家族にとって問題になった。
 固定資産税評価額に相続税法で決められている倍率を乗じると、1億円近くの土地価格になる。いくら何でも、そんな価値は無いだろうと相続人達は、誰でもが思ったが、時価いくらしているのか誰もわからず、遺産相続の分割事件を解決するために、私に鑑定の依頼があった。

 評価を受ける際に、相続の当事者及び代理人弁護士に念を押した。
 「評価額がいくらになるかわからない。下手すると、鑑定評価額よりも、鑑定料、旅費日当等の金額が高くなる場合が有るかもしれませんが、それでも鑑定しますか。」
と尋ねた。
 当事者達は、むつ小川原の山林の土地価格が決まらないことには、相続の争いを終わらせる事が出来ないために、了承した。

 むつ小川原工業団地の計画は、工場誘致が成らず、結局、頓挫してしまった。

 一大工業団地の出現によって土地価格は大幅に上昇するという原野商法の口車に乗せられて、山林を買った人々の心に深い傷跡を残し、山林の公図には、碁盤目状の土地区画の線という醜い姿を残すことになってしまった。

 訪れたときは、小川原湖近くに、核燃料を再処理するというとてつもない大工場を造ると言うことで、地盤整備の工事中であった。

 多くの周辺の土地は、建物の建っていない広大な原野のままで、朽ち果てようとしている「売土地」という看板だけが残っていた。

 鑑定評価額は10万円を少し出た程度の価格しかならなかった。
 相続人の一人の女性は、
 「父は死ぬ直前まで、むつ小川原の土地は3、4千万円位になっているだろうかと嬉しそうに云っておりました。現在の価格を知らずにすんだのが、むしろ幸せだったかもしれません。」
と、鑑定書の説明を聞いたのち、私に話した。


 原野商法・林地価格については、下記の鑑定コラムの記事があります。

  鑑定コラム40)「那須の別荘地」


  鑑定コラム832)「六ヶ所村の山林」

  鑑定コラム831)「恐山」

  鑑定コラム839)「栃木県の林地価格は何故高い」

  鑑定コラム841)「日本で一番高い林地は宇都宮市新里町丁の林地でu当り4050円」

  鑑定コラム843)「日本の山奥の山林の平均価格はu当り43円」

  鑑定コラム844)「那須塩原市が二次原野商法に注意喚起」

  鑑定コラム1826)「原野商法二次被害の増加」

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