2792) 大井ダムは築後100年になる ダムの経済的耐用年数は何年か
一般社団法人住宅生産団体連合会(会長 芳林敬一大和ハウス工業株式会社代表取締役社長)が発表した『2023年度戸建注文住宅の顧客実態調査』で、木造建物の住宅の平均築年数は38.7年と知った。
2023年から39年前は、1984年であり、元号で云えば昭和59年である。
昭和59年に流行った歌は、五木ひろしの唄う『長良川艶歌』(作曲石本美由紀、作詞岡千秋)であった。
その『長良川艶歌』の歌詞には、「水にきらめくかがり火」とある。長良川の鵜飼いの状景を歌詞に詠う。
私の人生一回の経験である長良川の鵜飼い見物を想い出してコラム記事を書いた。
長良川は岐阜三川の1つである。その岐阜三川の王様である木曽川の中流域に大井ダムがある。
その大井ダムは、そろそろ築後100年になるのでは無かろうかと思いだした。
NHKテレビの番組の火野正平の自転車の旅で、10年くらい前、火野正平が「ジンジロゲ−やジンジロゲ ド−レドンガラガッタ ホーレツラッパのツーレツ」という訳の分からない歌を唄いながら、大井ダムの堰堤天端の狭い通路を、へっぴり腰で恐る恐る自転車を引いて進んだダムである。
この様子については、鑑定コラム1095)に記した。
大井ダムは、岐阜県恵那市大井町と中津川市蛭川(旧・恵那郡蛭川村)の境に建設されたダムである。
ダムの所有と運営は関西電力である。
関西電力のホームページを訪れ、「大井ダム」と検索すると、12件検索される。
大井ダムがある木曽川中流には、読書(よみかき)発電所、賤母(しずも)発電所、落合発電所、大井発電所の4つがある。
その竣工年等について、同ホームページでは、次のごとく記されている。
(https://www.kepco.co.jp/corporate/profile/community/tokai/kisogawa/momosuke/momosuke.html)
1917年(大正6年) 賤母発電所起工
1919年(大正8年) 賤母発電所竣工(16,300KW)
1920年(大正9年) 木曾電気興業、日本水力、大阪送電を合併して大同電力株式会社と改称する。福沢桃介が取締役社長に就任する。
1921年(大正10年) 大井ダム発電所起工、読書発電所起工
1923年(大正12年) 読書発電所竣工(40,700KW)
1924年(大正13年)12月 大井発電所竣工(42,900KW)
1925年(大正14年) 落合発電所竣工(14,700KW)
福沢桃介氏とは、福沢諭吉の養子になられた人である。木曽川の読書、賤母、落合、大井の4つの水力発電所を造られた人である。
大同電力は、現在の関西電力である。
大井ダムは1924年(大正13年)12月に竣工している。現在は2024年であるから、大井ダムは2024年12月には、竣工100年になる。
関西電力のホームページには、ダムの耐用年数については、全く記されていない。
ダムの耐用年数について、ネットで調べると次のごとくの記述がある。
1.国土交通省四国地方整備局
「ダムはいつまで使えるのですか?」の質問に対して、下記のごとく回答している。
(回答)
ダム本体のコンクリートは、日頃から適切に管理・点検・補修を行っていくことにより機能が維持できると考えられることから、耐用年数のあるダムの各種設備を適切に補修・更新していくことにより、半永久的に使うことができると言ってよいと考えられます。
ちなみに、日本で最初につくられたコンクリートダムの布引五本松ダム(1900 年完成;神戸市)は、阪神・淡路大震災(1995 年)にも耐え、建設後 100 年を超えた現在でも運用されています。
https://www.skr.mlit.go.jp/yamatosa/qa/qa1/9.pdf
2.岩手県
「簗川ダムは、100年に1回程度の規模の降雨に対応しているとのことですが、ダムの耐用年数も100年間ですか?」の質問に対して次のごとく回答している。
(回答)
全国でも100年を経過した重力式コンクリートダムがありますので、簗川ダムも適切に補修・更新することで100年以上使用することができると考えています。
全国的にも、既存のダムを長く使用していけるように、計画的に延命化対策を図る取組を進めています。
https://www.pref.iwate.jp/morioka/yanagawa/qa/1013082/1013098.html
3.内閣府 沖縄総合事務局
「やんばるのダム ダムQ&A」で、ダムの寿命はどれ程かの質問に対して、下記のごとくの回答がなされている。
(回答)
適切な維持管理をしていけばダムの寿命についてはほとんど無限と考えて問題ありません。
実際に1000年を経たアースダムがいまだに充分に機能しています。
(大阪河内地方の狭山池約1400年前に建設)
https://www.dc.ogb.go.jp/toukan/11Q&A/index.htm#a9
4.日本ダム協会
(ダムの耐用年数)
これまでの経験から、ダム堤体のコンクリートについては100年程度経たダムでもほとんど強度は低下しておらず、場合によっては強度が増していることもあることがわかっています。
一方、ダムの各種設備はそれぞれ耐用年数がありますから、それらについて適切に補修・更新をしていけば、ダムは半永久的に使用可能と考えてよいものと思われます。
http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranB/JitenKM.cgi?id=396
5.鳥取県発電所概要
鳥取県の発電所概要の施設の状況に使用する耐用年数は、下記である。
茗荷谷ダム 80年
中津ダム 80年
https://www.pref.tottori.lg.jp/secure/756876/denki.pdf
6.内閣府粗社会資本推定
内閣府「粗資本ストックの推計手法 70」分析に採用しているダムの耐用年数は80年である。
https://www5.cao.go.jp/keizai2/ioj/docs/pdf/ioj2022_c2-2.pdf
7.法定耐用年数 財務省 構築物
・水力発電用の貯水池、調整池 57年
・鉄骨鉄筋コンクリート造、鉄筋コンクリート造の水道用ダム 80年
https://laws.e-gov.go.jp/law/340M50000040015
上記データの分析から、財務省の法定耐用年数80年で投下資本を償却しているが、補修、管理を適切に行えば、半永久に使用できるという認識が強い。
半永久と考える事は、粗っぽ過ぎる事から、切りの良い100年という年限が耐用年数と理解されているようである。
国土交通省は、ダムの長寿化政策を推進しており、100年の耐用年数の判断は妥当ではなかろうかと思われる。
木曽川の水が、大井ダムによってせき止められダム湖が出来た。
そのダム湖によって「恵那峡」という観光施設が出来た恵那市は、大井ダムの築造100年に対してどの様に対応しているのかと思い、恵那市のホームページを訪れて見た。
恵那市のホームページを訪れて驚いた。
恵那市は、大井ダム築造100年を大きく取り上げ、8月から祝賀行事を行っている。
2024年12月12日〜15日には、『大井ダム完成100周年記念WEEK』として、祝賀行事が計画されている。
12月13日(金)には、福沢桃介と木曽川水力発電を題材にした小説『水燃えて火−山師と女優の電力革命』(中央公論社2017)の作者:神津カンナ氏による講演会が計画されている。
ダムによって造られた木曽川の湖水は、恵那峡として観光名所となっており、これからも大井ダムは恵那市にとって共に歩む施設である。
下記に我が家の玄関に掲げられている版画を掲示する。毎日、この版画を目にして生活している。
加納正也氏の版画で、恵那峡の夕陽に映えるさざ波とボートである。背後の山は笠置山である。
笠置山は、10世紀後半に在位した花山天皇が、京都の笠置山に似ているといわれたことから、その名前がついたと言われている山である。
大井ダム全体の写真は、恵那市の『大井ダム100周年記念事業のお知らせ』の「恵那ダムフォトコンテスト2024」の表題に使われている写真があり、ダム下流からダム堰堤と川水を堰き止められた木曽川の元の状態の渓谷状景を写し、ダム湖の恵那峡そして遠くは中央アルプスの恵那山を撮す素晴らしい写真である。
大井ダム下流の顕わになって見える木曽川の渓谷の姿は、江戸時代に木曾檜の材木を筏に組んで、尾張那古野に川下りで運んだ「木曾の中乗りさん」の木曽川の景色そのものである。
アドレスは下記である。
https://enatabi.jp/ooidam/event/photo-contest/
(アドレスをコピーして検索エンジンのグーグルの検索窓に貼り付けてクリックすれば、「恵那ダムフォトコンテスト2024 − 大井ダム完成100周年記念事業」のホームページ見出しが出ます。その見出しをクリックすれば、1ページ目に大井ダムの写真が見られます。)
アドレス写真の右奥に写っている高い山が、中央アルプス最南端の恵那山である。左奥に続く山脈は木曽駒ヶ岳に続く中央アルプスである。
恵那山の向こう側は、長野県になり伊那地方で飯田市である。
鑑定コラム1095)「ジンジロゲーや ジンジロゲー」
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