名古屋・京都と飲食店の店舗を主として、料理店、パチンコ店、駐車場、小売店舗ビル、社宅、事務所ビルという種類の異なる不動産を見て回った。
現地だけでも先に見てしまおうと思い、その旨依頼者に申し出て、依頼者の案内を受けた。
広い名古屋市内をあちこち車で回った。
一日で11案件の物件を見て、くたびれてしまった。
名古屋のホテルで泊まり、翌日は京都の料理店の現地に向かった。
現地訪問は、料理店の最も暇な時間帯と云うことで午後3時と約束した。
少し時間があったため、鑑定する現地の近くに建仁寺があったことから、建仁寺を訪れた。
建仁寺は祇園にあった。
平家物語で描かれている、「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす ・・・・・」の無常の響きに、建仁寺の鐘も含まれているのではなかろうか。
修学旅行の中学生達が多く来ていた。
私は、建仁寺の庭を見たいと思ったのである。
そこで「建仁寺垣」を見ることが出来た。
建仁寺垣は、竹垣の最高品と云われるものである。
建仁寺が垣に使用していることから、「建仁寺垣」と呼ばれるようになったのではなかろうか。
その建仁寺で、名前発祥の「建仁寺垣」を見ることが出来た。
さらし竹を真っ二つに割り、その真っ二つに両割りした竹を立子にして、表裏に使用する竹垣である。
押縁も竹、玉縁も竹である。
結ぶ縄はシュロ縄である。
午後3時に現地を訪問し、土地建物の案内を受けた。
建物は、一般的な料理店の内装であろうと思っていたが、その予想は全く外れた。
客室の造りは、全て数寄屋造りであり、茶室風の造りである。
壁は黄聚楽である。
床柱は北山杉の磨きで8寸から尺ものである。絞りもある。
天井は網代あり、船底天井あり、かけ込み天井あり、竿縁天井ありで、柾目・板目の杉板は、貼物で無く、一枚板である。
雪見障子を挙げたら、建仁寺垣を持つ小庭であった。
現地調査に来る前に見てきた建仁寺垣が、料理店の小庭に見られるのである。
建仁寺に近いこともあってのことなのか知らないが、雪見障子を挙げたら、まさか建仁寺垣を見られるとは思っても見なかった。
京都の人々は、数寄屋造りが好きなのか、茶室風造りを好むのか?
建物内部の客室を見ながら、
「これは相当の建物の建築費になりそうだ。
再調達原価の把握が少し心配だなあ。」
と思わざるを得なくなってしまった。
和室に椅子とテーブルが置かれている客室があった。
少し奇異に映ったので、支配人に聞いたところ、支配人は、
「最近、京都の工場・本社を訪れる人に、中国人が多くなって来ました。
中国人は、椅子テーブルで食事するため、招待する日本の企業から椅子テーブルの要望が多いのです。」
と説明する。
明治の元勲達が、和室に椅子テーブルを持ち込んで、会議している写真を見たことがあるが、その状況を現代に見た感じがした。
客室の窓外には、建仁寺の屋根、祇園甲部歌舞練場の特色ある建物と屋根が見える。
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