2001年11月新潟鐵工所は会社更生法の適用を申請した。
会社更生法適用申請の企業は、今迄の私の知識では、10余年の年月を掛けて企業更生されるものと思っていた。
新潟鐵工所の会社更生は違っていた。
会社の事業部門を事業部門ごとに切り離し、各事業を他の会社に営業譲渡してしまい、新潟鐵工所という会社は清算会社として、3年後には解散してしまうというものである。新潟鐵工所という会社は無くなるのである。
会社を事業のパーツごとに切り離し、短期間に事業パーツごとに営業譲渡処分していまうというのが、会社更生法の今後の主流か。
新潟鐵工所の10余の事業部は、会社更生法適用申請後1年の間で、ほぼ譲渡先が決まった。そのスピードには目を見張る。
タンク事業部は新興プランテックという会社が(2002年6月12日 新興プランテックHPのニュースリリースより)、変速関連事業は日立製作所の100%子会社の日立インダストリイズが買い受けるのである(2002年10月31日 日立HPニュースリリースより)。
新潟鐵工所の主力であった原動機部門、車両部門は石川島播磨重工業が買い受ける。圧雪車部門は大原鉄工所が買い受ける。造船事業は三井造船が買い受ける。
石油・液化天然ガス(LNG)向けの流体荷役関連機器事業は、約20億円で日本車輌製造と東京貿易が買い受けることになった。長岡工場と120人の従業員も引き継がれるという。買収後年間売上高は50億円を見込むという。(日経2002.11.6)
投下資本に対する売上高倍率は、
50億円÷20億円=2.5倍
である。
液体エネルギー荷役関連機器事業の価格は、売上高の0.4倍(1/2.5)と言うことか。
日本書紀に「燃える水」と記載された新潟県の石油を、明治に入り多くの採油業者が掘削し、その中の一つの日本石油株式会社(1895年 明治28年設立)の機械類の製作・修理をしていた事業部が独立して、新潟鐵工所になったと聞く。1910年(明治43年)である。
石油発動機、ディーゼル機関に関しては優れた技術力を持っていた。
従業員は約3300人であった。
新潟鐵工所の売上高のピークは、平成4年3月期の1,805億円であった。 最後に黒字計上したのは平成6年3月期で、それ以降は売上高は年間100億円単位で減少し、赤字は増加する一方であった。
新潟鐵工所の売上高は、次の通りである。
平成4年3月期(1992年) 1,805億円 平成6年3月期(1994年) 1,664億円 平成7年3月期(1995年) 1,525億円 平成11年3月期(1999年) 1,413億円 平成12年3月期(2000年) 1,224億円 平成13年3月期(2001年) 1,145億円「不況型倒産企業の直前の売上高は、平均するとピーク時から43%減だ」と帝国データバンクの熊谷勝行氏は言っている。(日経2002.11.3)
(鑑定コラム1499を転載)
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