友が制作に携わったドキュメンタリー映画『ほかいびと伊那の井月』を、伊那市の映画館「伊那旭座」に行って観てきた。
平成23年11月19日(土)のことである。
朝、JR国分寺駅より中央線で立川に行く。
立川で特急「あずさ」に乗る。
岡谷で降り、飯田線に乗り換える。
伊那市駅で降りる。
映画を観る前に、昼食をと思い飲食店に入った。
食事を終えて、店員に伊那旭座の道順を聞いたが、その様な映画館は知らないという返事が返って来た。
店員は店主に聞きに行ったが、店主も知らないという。
これには参った。
映画文化の衰退を肌に感じる。
伊那旭座は、昭和の古き良き時代の映画館であった。
昭和の映画館の匂いがした。
映画の始まる前に、監督の北村皆雄氏と主演俳優の田中a氏の対談が、劇場ステージで行われた。
田中a氏は、やわらかい静かな語り口であった。
井月を演じて、教えられるところが多くあったと語る。
日本人の使う言葉を、如何にして体で表現するのか、改めてその難しさを自覚したという。
「はらはら」、「ひらひら」、「さらさら」という日本語を、踊りでどう表現するのか。自分の仕事は、それら言葉が意味することを、体で表現することであるという。
役者の神髄を述べる。
監督の北村皆雄氏は、伊那地方特に上伊那の地区は、人々の共同体意識が強く、又自然と人との共生の生活意識が強い土地柄ではないかという。
井月が、伊那で30年という年月を放浪しながら生きながらえたのは、伊那の人々の共同体意識の強さ、人の良さ、他地域より平野農地の多い地域性、そして俳句という文化を尊ぶ地域性があったためではないかという。
井月は、伊那の人々から放逐されることになるが、それは明治新政府の新しい租税、戸籍等の新制度の導入により、農村の人々が締め付けられ、余裕がなくなり、共同体意識が薄らいで来たためではないかともいう。
北村氏は、「ほかいびと」という言葉は、万葉集の2つの歌謡の中にでてくるという。
この発言には、私は驚いた。
「ほかいびと」という言葉は、そもそも私は知らなかった。
友人より「乞食」の意味だと知らされたのである。
その言葉が万葉集に出て来るとは信じがたかった。
東京に帰り、ネットで調べたところ、万葉学者の土橋寛氏が「記紀歌謡」の著書で述べていることを紹介する記事があった。
詩人の高橋耕治氏が、古代の芸謡の課題の論文の中の「乞食者(ほかいびと)の歌」の記事で紹介している。
孫引きとなるが、土橋寛氏は、万葉集の2つの歌謡からほかいびとという階層の存在を見つけている。その階層を「カタヰ」と「ホカヒビト」の2種に分けている。
カタヰは片居で、道の端で座り物を乞う人をいう。つまり乞食である。
ホカヒビトは、ホカヒ(祝言)を述べて、その代償に物をもらう人のことをいう。ホカヒビトが、芸能役者となっていく。
このホカヒビトが「ほかいびと」と発音変化する。
万葉の時代に、ほかいびとはあったのであり、芸能役者の源はほかいびとであるようだ。
伊那の人々は、その言葉を今も使っており、映画の題名にした。
歴史民俗と文化の深さ厚さを感じる。
そうしたことを考えると、映画『ほかいびと伊那の井月』は、「ご当地ソング」の如きのドキュメンタリー映画ではなくなる。
ほかいびと井月は、幕末の伊那の人々の生活を見聞きし感じ取ったことを俳句という言葉に残した。
その残された俳句の言葉を、舞踏家俳優田中aは、どの様に体で表現するか。
映画でそれらを見る事が出来る。
田中a氏はいう。
来年、万葉の短歌を踊りで表現する仕事が舞い込んできたと。
井月が授けてくれたのではと。
最後に、井月の写実的な句をひとつ。
「冬ざれや壁に挟みし柄なし鎌」
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