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1168)火野正平の旅は開高健の言葉で終わる

 火野正平の自転車の旅は終わった。

 NHK BSプレミアムが、2013年9月23日から放送していたにっぽん縦断こころ旅「2013年秋の旅」は、2014年2月2日で終わった。

 最後のこころの風景は、投稿者が、小学校1年生の時に海水浴に行った愛知県日間賀島の頂上から見た篠島とその海の広さに感動したこころの風景であった。

 2013年秋の旅で、火野正平の自転車のこころ旅は、日本全国を制覇した。

 多くの人々のそれぞれのこころの風景を見せてくれたが、見せられたこころの風景が全部日中の風景であった。一つとして夜のこころの風景はなかった。

 一つくらいネオンのきらめく夜の風景が、こころの風景であるという投稿があっても良さそうと私は思うが。

 埼玉の方面の仕事を終えて東京に向かうと、大抵夜になる。
 常磐道から隅田川の左岸を走る首都高速道路を南下すると、今は無くなったが、国技館の対岸のビルの屋上に設置された醤油メーカーの大きな赤いネオンが目に入った。川面に映える消えたりついたりするそのネオンを見ると、東京に無事帰ってこれたという安堵感が湧いてきた。

 その安堵感は、東京が第二の我が故郷になりつつあると、私に思い起こさせた。そのネオンは今は無いが。

 地方で仕事を終え、地方の都市の飛行場から東京に帰る時、東京の羽田空港に着くのは夜である。

 飛行機が羽田空港の滑走路に着陸したあと、エプロンスポットまで行く間に、飛行機の窓から見える暗い飛行場の地上一杯に点灯する青い誘導灯の色は、無事東京に帰ってこれたという安心感と旅で疲れたこころを癒してくれる。

 2013年秋の旅編では、火野正平の歌を聴くことが出来なかった。
 「千の風になって」のごとくの歌をいつ唄ってくれるのかと、番組を見ていたが、ついに歌は聞こえてこなかった。残念である。

 旅の最後は、日間賀島の頂上からのどかな伊勢湾を見ながら、正平が好きという開高健の言葉「オイラ 遠くに行くだ」をつぶやいて終わった。

 開高健にそんな言葉があったのか、私は知らない。

 火野正平の口から、「開高健」の作家の名前が出て来るとは思ってもいなかった。

 開高健の言葉としては、

 「明日、世界が滅びるとしても
 今日、あなたはリンゴの木を植える」

があるが、私はそれくらいしか知らない。

 開高健は「かいこうたけし」と読むが、私は「かいこうけん」と読んでいる。その方が、キリッとしていて、開高健の人柄を反映しているのではないかと私は思うことから。

 開高健という作家を知ったのは、私が大学生の時であった。

 『週刊朝日』に連載された開高健のベトナムの戦場から送られた従軍レポートであった。

 南ベトナムでのアメリカ軍・南ベトナム軍の連合軍とベトコンとの密林での戦争の状況を伝える従軍記である。

 銃弾が頭の上をかすめ、死ぬかもしれないと云う恐怖におびえ、命を懸けた生々しい迫力ある記述文章に驚いた。日本の、東洋のアーネスト・ヘミングウェイだと思った。

 晩年は、魚釣りの話ばかりの開高健の姿がテレビに多く映されていたが、それはベトナム戦争の戦場での従軍体験が、開高健をそう変えさせたのでは無かろうかと私は思う。

 その『週刊朝日』に連載されたベトナムの戦場から送られた従軍レポートに、筆を加えたものが『ベトナム戦記』である。

 火野正平が開高健を思い出させてくれた。
 何十年振りに開高健のその『ベトナム戦記』を読んで見ようと思う。


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