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2503) ボージヨレ・ヌーヴォーとムッシュ相馬

 一つの宅配便が届いた。

 何であろうかと包みを開けると酒であった。ボージヨレ・ヌーヴォーのワインであった。

 「そうか、今日は2022年11月17日である。昨日がフランスワインの2022年新酒の解禁日であった。その日の為に私に送って下さったのか。」と包みを開いて私は思った。

 ボージヨレ・ヌーヴォーのワインを送って下さった人は、私が、以前鑑定意見書を書いてやった人であった。

 訴訟が少し上手く行って、その御礼のようであった。

 2022年のボージヨレ・ヌーヴォーのワインは、昨年(2021年)の1.5倍の金額であると、テレビが報じていたことを思い出した。

 その原因は、ロシアのウクライナ侵攻に伴って、エネルギー危機が発生し、重油、ガス、ガソリン価格が高騰した。

 それに伴い、航空貨物運賃が上がり、その影響がボージヨレ・ヌーヴォーのワインの料金に跳ね返っているということのようである。

 2022年11月17日の夜、久しぶりにボージヨレの気分を味わった。少し甘みのある美味しいワインだった。

 ボージヨレ・ヌーヴォーには、私は特別な思いがある。

 私が尊敬する知り合いに「ムッシュ相馬」と呼ばれる司法書士の方がいる。

 そのムッシュ相馬氏が、毎年ボージヨレ・ヌーヴォーの飲み会を開いており、その会に私も参加していた。

 ボージョレ・ヌーヴォーとムッシュ相馬氏との係わりについては、鑑定コラム248)「ボージョレ・ヌーヴォー 2005年」に書いている。その記事を下記に援用する。

 ムッシュソーマ氏によれば、昭和63年(1988年)に、フランスのボージョレ地区のワイン生産組合の方々が、
「日本人は金持ちだから、ボージョレのワインを買ってくれるだろう。」 と考え、ワインの売り込みにやって来た。

 しかし、酒屋も百貨店も一本も買ってくれなかった。見向きもしてくれなかった。

 販売ゼロで明日はフランスに帰らなければならないと、ホテルでひどく落胆していた。

 その話をホテルに勤めている兄から伝え聞いた若い女性が、自分の勤める事務所の所長に話した。

 話を聞いた男気のある所長は、「儀を見て為さざるは勇無きなり」とばかり、  「それは気の毒だ。よし、買ってやろう。何本買えばよいのか。」
と聞いた。

 返事は、
 「100本。」
という。

 日本のどこの店も会社も買ってくれなかったボージョレのワインを、男気のあるムッシュは、希望通り100本買い上げた。大瓶の100本である。金額も半端な金額ではない。

 日本に売り込みに来たボージョレ地区のワインの生産者達は、最後の土壇場で自分達の立場を救ってくれた男に大変感謝した。

 男の名前の前に「ムッシュ」とつけて感謝の意を示した。

 ワイン100本を購入した男気のあるムッシュは、付き合いのあった「三越百貨店」の外商部から、三越の包装紙で知り合いの人々に購入したワインを贈呈した。

 ワインを贈られた人の中に、そのワインの旨さに惚れ込み、包装紙の三越百貨店に、同じワインを注文した人々がいた。20本の注文が入ったという。

 驚いたのは三越百貨店である。包装紙で包んで送っただけであるのに、商売の種が、何の苦労もせずに、相手先から飛び込んで来たのである。

 これは商売になると判断するのは当然であろう。

 商品、製造元、販売市場の調査を充分行い、2年後、三越は大々的にボージョレ・ヌーヴォーを宣伝し、フランスワインの新酒を売り込んだ。

 ボージョレ・ヌーヴォーは、その後、燎原の火のごとく日本中に広まった。

 フランス人も律儀で、義理堅いところがある。

 ボージョレ・ヌーヴォーを、日本で広めるきっかけを作ってくれた日本の男気のある人への恩を忘れず、フランスに招待し、名誉村民として大切に処遇する。

 そして村一番のブドウから作られた新酒のラベルに「ムッシュソーマ」と刷り込み、日本に毎年送ってくれる。

 ボージョレ村から送られて来た新種ワインで、ワインの飲み会を毎年ムッシュ相馬は開き、私もそこに、おこぼれを頂くがごとく参加していたのである。

 ある年、ワインの飲み会の締めを田原やれとムッシュ相馬氏より指名され、私が締めを行うことになった。

 3本締めの前に、私は、ムッシュソーマとボージョレ・ヌーヴォーとの関わりを簡単に説明して終わりの挨拶として、3本締めを行った。

 3本締めが終ったすぐに、

 「タハラ君!、タハラ君!」

と私を呼ぶ人がいる。

 特別来賓の香川保一元最高裁所裁判官が、私を呼び止める。

 何事かと近づくと、

 「ボージョレ・ヌーヴォーのいわれは、君の説明とは違う。」

と云われる。

 「え、違っているのですか?」

と私は聞き返した。

 香川元最高裁所裁判官いわく、

 「相馬君が日本に売りこみに来たボージョレの人々のワインを全て買い上げたのは、彼の<徳>の心だよ。そこをしっかり知っておかなければ。」

と。

 私はスピーチで、

 「男たるもの何とかでありますが・・・・」

と云って、「義を見て為さざるは・・・・」を省略し、ムッシュソーマの「徳」については、話さなかった。

 そこを、スピーチを聞いていた香川元最高裁所裁判官は聞き流さず、すぐ私に注意したのである。

 イヤハヤ、法律家は何歳になっても文言に厳しい。

 私は、教えて下さった香川元最高裁所裁判官に頭を下げた。

 短いスピーチにも核となるものを持って話せということのようである。

 このことについては、鑑定コラム606) 「ホテルニューオータニでのムッシュソーマの新酒会」に書いている。

 「ムッシュソーマの新酒会」も、律儀なフランスのワイン組合から長く続いた新酒ワインの贈呈もなくなると云うことになり、2010年を最後に取り止めになった。

 昨今の日本の11月の一大イベントになったフランスワインの新酒飲酒の「ボージョレ・ヌーヴォー」のきっかけを作ったのは、ムッシュ相馬氏である。

 ムッシュ相馬氏の名前は、相馬計二という。

 相馬計二氏は、今年(2022年)春亡くなられた。

 もっと酒を酌み交わし、話をしたかった。悔いのみが残る。ご冥福を祈る。


  鑑定コラム248)
「ボージョレ・ヌーヴォー 2005年」

  鑑定コラム485)「今年のボージョレ・ヌーヴォーは甘かった(2008年11月)」

  鑑定コラム606) 「ホテルニューオータニでのムッシュソーマの新酒会」

  鑑定コラム708) 「ムッシュソーマの最後のボージョレ・ヌーヴォー」


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